Cultre Power
artist 会田誠/Aida Makoto
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

会田誠氏×岡部あおみ

学生:芦立さやか、足立圭、池内麗佳、小黒加奈子、高木嘉代、高橋僚佑、直塚郁
日時:2003年11月18日
場所:ミヅマアートギャラリー 

01 パワーをくれる『≒会田誠 〜無気力大陸〜』

岡部あおみ:今日はどうも、お忙しいところをありがとうございます。この前、会田さんが登場なさっている映画『会田誠 〜無気力大陸〜』を観せていただいたのですが、シナリオとかにご自身で関わられたのですか?

会田誠:まさか(笑)。純然たるドキュメンタリーです。でも観ていただいてありがとうございます。ただ撮られたくないのに撮られて・・。

岡部:密着取材でしたね。もともとご自分でも映画を作りたいとおっしゃってましたよね。

会田:ああ、でもそれと今回のは何の関係もなくて。撮ってた監督というか、カメラマンも兼 ねてるんですけど、あれはもうほとんど一人で撮って編集してるんです。まあ、もともと友達だったので、あんまり取材されてるって感じはなかったけれど、まあ、何ですかね(笑)。

岡部:撮影期間はどのくらいですか。

会田:絵を描いてるのが二カ月、パリでの撮影が半月ぐらい。あとは、あるテレビ局でドキュメンタリーを以前に撮られていて、スポンサーが僕の作品の実態を途中で知って、こういう不道徳なやつは駄目だって打ち切りになり、フィルムがいっぱいあまっちゃって。最初のあたりに、早回しでぱぱぱっと見せた映像が、だいたいテレビ局のフィルムです。

岡部:完成後にご自分で見て、どうでしたか、ご感想は。

会田:いやあ、嫌なもんですよ。自己顕示欲は激しい方で、だから作家になったんですけど。やっぱり自分の作品を見て見てっていうわけですから。自分が素材になったドキュメンタリーを、まあ、来ていただいて思わずありがとうとは言ってるんですけど(笑)、本心はあんまりそう思ってなくて。観られちゃったかっていう。

岡部:嫌だなあ、みたいな(笑)。今までアーティストのドキュメンタリーをかなりたくさん見た経験があるのですが、被写体になった作家が満足したものは少なかったような気がします。

会田:ええ、いや、その監督の友だちの玉利祐助君が下手だとかいうのじゃなく、僕の場合は、誰が撮ってもドキュメンタリーは本人にとっては嫌なもんで。僕を描く作り方としては、あれが一番いいんじゃないですかね。ちょっとは注文したんですけどね。

岡部:たとえばどういうところですか。

会田:僕のダラダラした日常をしつこい感じで強調して出して、休憩してるところだけをつないで、なんにもやってないかのようにしたら、とか(笑)。

岡部:そういう感じが好きなんですね(笑)。観た人達の感想は聞いてますか?

会田:自分で言うとなんですけど、今のところはあまり悪いことは言われてなくて。いや、悪いこと思ってる人は言わないだけか、僕の近くにいない人なのかもしれないけれど。驚いたのは、そんなに親しいわけではない気難しい美術評論家みたいな人で、あんまり僕の作品なんか褒めないような人が、映画だけは褒めてる (笑)。

岡部:私の場合は、旅行の時差がとれてなくてすごく疲れていたときに見たんです。

会田:ああ(笑)、すいません。

岡部:9時ごろからのレイトショウですし、体調を考えてどうしようか迷いに迷って、イメージフォーラムの座席に座っても、もう帰ろうかと思うほどでしたが、映画を見始めたら突如すごく元気になって飛ぶように帰ってきたのです。

会田:そうですか(笑)。そういう感想は初めてです。

岡部:なんであんなパワフルになったのか、パワーをもらったのか。すごくいい作品を見たときにパワフルになりますから、映画からなのか、会田さんの作品からなのか、会田さんの生き方自体がアートだとも思うので、会田さん自身からなのかと。その三つどもえのパワーかな。作家のドキュメンタリーを観て、そこまでパワフルになったことは少なくてめずらしいです (笑)。ゼミの学生たちに、疲れていても落ち込んでいてもパワフルになるから観てごらんって紹介したら、見事にパワフルになった学生がいました。

学生:あ、なりました。

会田:へえ。でも一説に、元気がないときに元気ソングはあまり合わなくて、暗い曲の方が勇気づけるようなデータがありますよ。ポジティヴソングはめげてるときに聞くとかえって逆効果とか、まあ、そんなことかも。


会田氏
© ミヅマアートギャラリー

02 どでかいオオサンショウウオ

岡部:映画の舞台に使われている和室のようなアトリエは昔からですか?

会田:いや、あれは今はもう使ってなくて、アメリカから帰ってきて一時しのぎで、ある人からただで貸してもらってました。空いてた物件に、一年ぐらい仮に居候させていただいていた。今は住み家だけで、アトリエはない。僕はアトリエはあまりもったためしがないんです。今は一軒家で六畳一間のアトリエは用意してるんですけども、すぐ物置きになって。もう入ることも困難な感じになっている。

岡部:映画の雰囲気みたいですね。

会田:そうですね。もっと荷物が多くなって、小さなサイズしか絵は描けない状態。国際芸術センター青森(ACAC)というレジデンスで描いた、意味なく、ほんとに馬鹿でかい絵は、今、このビルの一階の服屋のブティックに展示してます。青森のレジデンスは、安藤忠雄さんが設計したおしゃれな、かっこいい感じの建物で、広々としていて、いい気になってでかい絵『オオサンショウウオ』の絵を描いちゃった。そこではそれほどとは思わなかったんですけど、寸法測ってミヅマアートギャラリーのある壁に、無理すればちょうど入る計算だった。ところが「MY県展」の展覧会直前になって階段が上がらないことが分かって、ミヅマの個展に出品できないことになって少しあわてたんです。とにかくでかい絵を描くために、自分でそうしたスペースを年間キープしておく金がないので、渡り鳥のように、描く場所を見つけてからやった方がいいかなと思ってます。

岡部:1階に展示されている絵はまだ見ていないので、あとで見せていただきます。

会田:一度はあきらめてたんですけど、三潴社長がしつこくて、「いやあ、あれがなかったら駄目だ」って。無理矢理ブティックなのに、なんかおどしつけたとか (笑)、よく分からないけど。無闇にでかくて絵柄は、藤田嗣治が腐ったような、なよなよした絵。なよなよしてるくせに、サイズはメキシコの革命を謳い上げた巨大壁画みたい。そのアンバランスさが、どう鑑賞したらいいかよく分からなくさせる(笑)。変な絵になっちゃったんですよ。

学生:私は「MY県展」と下のブティックで大山椒魚とふたりの美少女が描かれた大作『オオサンショウウオ』 も見たんですけど、これは日本画っぽいというか、すごくきれいでしたが、背景の日本画らしさは意識なさっているのですか?

会田:もちろん意識してまして、最初は、もう少し現代の絵っぽく、尾形光琳の水模様と、サイケデリックな、サイケ光琳バックでいこうとか思ってたんです。ずっとそんな下書きしていたのですが、なんか様にならなくて。そのうち、日本画というより、ちょうどあれ描いてるときに藤田嗣治の伝記とか読んで、べつに感動したわけではないけど、僕すぐ影響されるんですね。なぜかこの夏、「戦後日本画の冒険者達―秋山操から会田誠まで」という展覧会とシンポジウムがあって、50人くらいの参加者で、僕以外はみな少なくとも大学の日本画を出てて、僕だけが違うんです。シンポジウムで「日本画とは何か?」とか、考えざるを得ない時期にあの絵を描いていた。安藤さんお得意のコンクリート打ちっぱなしの青森のACACという立派な施設で描いてたんですけど、ミニマルなっていうか、和風なとこもあるのかな。そういう空間のなかで描いていた。僕はすぐに、弱くて、サイケ光琳はダサいなと思って止めちゃって、なんかおもいっきりシックにしちゃうかなんて。千代紙でこういうのあったと思って、雲母で光ってるとこと白いとこと、こうやるといいかななんて。真っ白い絵にしちゃえなんて、そんな簡単なものです。

学生:でもすごくきれいで涼しげな感じです。

会田:最初のサイケデリック光琳の時は、どーんとショッキングで驚かせるような絵のつもりが、多少でもあったのかもしれないけど。考えてみれば無難な、オオサンショウオなんて、壊れていく美しい日本の象徴みたいな、絶滅危惧種の動物でしょ。で 若いぴちぴちな女の子がいて、そんなのエロクもなくて、シリアスな祈りみたいな絵だから。ショッキングにすることないなと思いまして。

岡部:安藤さんの建築はお好きですか?

会田:僕は建築は好きも嫌いもないんですけど、妻がぶーぶー言うほどは嫌いじゃなかったですね。妻は子連れとして、不便だ不便だっていってました。でも確かに制作する気にはさせます。人里離れたところにある幾何学形態の施設だと、こちらが有機的なものをやらなきゃっていう気になる。

岡部:会田さんの作品には、どでかい作品がわりと多いですよね。『にゅうようく紐育くうばく空爆のず図(戦争画RETURNS)』でも、『巨大フジ隊員VSキングギドラ』でも。昔から大きいサイズの絵を描くのお好きですか?映画の中の『人プロジェクト』もかなり大きい。

会田:そうですね。大きいのは多分好きです。いろんな理由で好きなんですけど。四つくらい理由があるんでしょうけどね、四つ全部言うべきか。まず僕は本然リアルに馬鹿だし、馬鹿っぽいのが売りで、作品もあわよくば笑って欲しいときが多い。そうじゃないのもありますけど。そういうときは、だいたい大きい方がいい。目安として、笑わせたいお馬鹿作品はでかく、考え込ませたいお利口な作品は小さく、っていう法則があると思うんです。そう考えると、僕はでかい方がだいたい向いております。あと、僕らがよく出会うコレクターだと、高橋龍太郎先生などは例外として、サイズはここまでみたいな普通の商品しか買えない。そういう方々を想定して描くこと、居間やリビングに置くとかコレクターのニーズとか、人生観とかが理解できないし、朝も昼も夜も飾られてると想定しながら描くのはちょっと…。僕はコレクターの個人のお宅のリビングを飾るよりは、美術館の方が好きなんですね。美術館の方が偉いっていう意味ではなくて、美術館はだいたい有料だろうけど、何百円か千円ぐらい払って、日曜日とかデートとかで暇つぶしとかで行ってみんなで見られる。そういう場で見せる方が合ってる。一個人に一生、毎日愛される作品とか、ちょっと想像できないんですよ(笑)。それに僕の作品買う人もいるけど、うんこがどーんとかあったり、はっきり言って気が知れないですよね。

岡部:(笑)。かなり過激ですからね。インパクトあります。

会田:過激っていいますか、過激でかつ浅いでしょ。浅くていいと思ってるところもあって。

岡部:通り過ぎるように、出会う。

会田:うん、一期一会。それでいい。一生愛して欲しいわけじゃなくて、その現物をもう一度見たいと思わなくてもいいから、一回見た、ああこういうのがあったなと、記号としてインプットされて、あういうの見ちゃったなと記憶が残ればいい。そんな作品が僕には多くて、まじまじと見て愛したいと思わなくてもいいという意味で、お化け屋敷的なんですよね。縁日のお化け屋敷とか、ビックリハウス的な作品。そういうのが含まれてるから、心ある美術評論家からは、三流四流扱いなんでしょうけど。それはまあ当然だと思うんですけどね。 マーク・ロスコみたいに、毎日毎日見て、色々な宗教的な感動を得たい人には、物足りないどころか目障りな作品でしょうけれど、目的が違う。僕は、ひと夏の一期一会のお化け、お化け小屋のお化けみたいのが作りたいんですよね。ロスコとは違うんですよ。


会田誠「じょうもんしきかいじゅうのうんこ」2003 写真
© ミヅマアートギャラリー

03 日本をネタに海外でブイブイ言う藤田と村上

学生:大学で自分は日本人らしい絵を描かなきゃいけないと思ったとおしゃっていたんですが、日本人が思う日本的なものと、海外の人が感じる日本的なものは、認識に差があるとお考えですか?

会田:うん、ものすごくありますよね。ぼくが日本的っていったときも、細かく言えば2つの要素に分解されて、海外にとって人気のある浮世絵と海外の人にはついてもいけないだろうけど万葉集とか。そういう日本の伝統文化という意味の日本的がある。またもっと海外にも紹介されにくい、現代の日本人にとってもあまり認めたくない日本的もあって、それは最近けっこう表にだすのが増えてきたと思うんです。
一番代表的なのは、ホンマタカシさんの写真なんかだと思うんです。僕は下手で、信念もなかったから、だめだったんですけど、大学に入ったときからカメラを中古で買って、人はあんまり写ってない、つまんない郊外の写真、とりあえず普通に客観的に引いたワイドな写真ばっかり撮ってたんですよ。発表することも無かったけど、大学2年のとき、グループ展やると勉強になるからやってみろ、みたいな感じで助手かなんかに焚きつけらて学校の中でやったグループ展がありまして、初めてのグループ展かな、DMも自分達でやれっていわて、いろいろアイディアは出たんだけど、みんな駄目だから、俺がやる、何も文句言うなって言って。DMは文字面には普通に情報が書いてあって、裏はただつまんない風景写真が、断ち切りで、切り落としと言うかな、何の加工もなくある。そんなDMもらったら、は?っていう写真なんですけどね。あの頃からアラーキーさんとかもちょっとつまんない街角とか撮っていたけど、でもアラーキーさんは裏通りとかの味わいのある街が中心だったと思う。もっと名付けようもない寂しい、でも貧しくもない、なんかそういう日本の普通の風景。ああいうのはなんかあると思って。こういうの見せなきゃいけないとか、大学の頃思ってたんですね。その頃技術とかがあれば、そりゃホンマタカシさんになれたんですけど、なれなかった。日本的という場合、どっちかというと、そちらのほうの比重が大きかったですね。古きよき万葉集みたいな伝統じゃなくて、戦後の、いろいろあって出来上がった平和みたいな。ちょっと腐ったみたいな、清潔みたいな。でもあまりそっちの表現は僕いまだに出来ないし、得意な人いるから、いいんですけど。
で、海外はね、その問題は真面目に考えるの嫌ですね。難しいと思いつつノーコメント。いや大切な問題なんですけどね。藤田嗣治さんとかもほんと日本をネタにパリでブイブイ言わせて、日本から馬鹿にされて、日本売物にした芸者みたいな絵描きは三流だって、日本人から言われて。でも、世界では世界の藤田って言われて。そのギャップとか、すべて理由はよくよく分かるんだけど、どっちがいいってわからないですよね。藤田を、軽薄な日本の叩き売りと軽蔑する、日本国内で、地道に頑張ってる人も正しいし、藤田も正しい。
どれもみんな、バランス悪いっていえば悪い。それは村上隆さんの問題でもある。今まさに、村上さんと藤田さんの状況は似てますよね。ちょっと難しいです。でもほら中国とか、なんとなく僕のイメージだけど、中国とか、韓国の最近出てくる現代アーティストは、すごく中国とかをネタに、西洋でビックになろうとするじゃないですか。共産主義だったこととか。中国4千年のいろんなオカルトチックな歴史とか、それはもう、あっちのポジティヴシンキングで、ビックになれるものなら、なんでも使うというバイタリティは軽蔑は出来ない。村上さんもそういう国際社会のバイタリティの中で勝つには、マンガならマンガを売りにして、国際レベルでは全然OKなことだと思う。それをちょっと気恥ずかしいと思う日本人の心も、大切だとは思うんですけどね。そこらへん、中国人と日本人と同じじゃなくてもいいと思う。いや、中国人ていっても広くていっぱいいるから、そんな簡単に言っちゃいけないんですけど。

岡部:そうですね。最初に会田さんがデビューした頃、ギドラを始めとして、戦争画リターンの絵とか全部、西洋を意識している日本のアートシーンに対して、非常にシリアスな形で着地したっていうか、リスクを伴って日本に両足をついて出発したという気がしたんですね。それ以前の作品はあまり見たことはないのですが。

会田:ええ。僕も大学時代、特に初期の頃は、日本とか美術とか絵画とかに、あまり関心がなくて、もっと僕個人の一身上の問題の方に関心があったといいますか。多少話がとんでしいますけど、今回下でやってる個展の「みんなといっしょ」は、僕にとっては、先祖がえりじゃないけど、学生時代のベースに戻る感じ。例えば僕の二、三、四年生ぐらいの学生時代を知ってる人には、あの頃っぽいみたいに思われると思います。今見ると、ちまちま描いてた会田がなんか手抜き始めたぞと思われるかもしれないけど、昔を知ってたやつは、あのいい加減で、人に褒められるような、そいうい欲を出さないところだけが取り得のあの会田が、なんか褒められたいのか、ちまちまなんか綺麗な絵を描き始めて嫌なやつになったと、例えば大学を出てキングギドラを描き始めた頃、たぶん僕の周りの人はそう見てたと思うんですけど。もともと僕は今日下で描いてた、ああいうタイプの作家だったんですけれども。

岡部:ええわかります。今回の個展の作品は、『ミュータント花子』などの落書き風殴り書きが、巨大化した作品みたいな感じですから。

会田:そうですね。とにかく何も見ないで、下書きなしで、特に上手く描こうとも下手に描こうともしないで肩の力抜いて描くと、だいたいあんな感じになる。別に上手くも下手でもないんですよ、わたしの絵は。まあどんなものでも、馬でも犬でも、上手く描こうと思えば、どっかでちょっと犬観察してから描けば上手く描けるけど。他人に、そういう絵をうまいと言われても、子どもの頃からそういうのなんか空々しい感覚はあるんですよね。だって本物が馬で、それを綺麗に描いても、写真の方がすごいに決まってるし。そういうのはちょっと嫌なところがありまして。

岡部:分かります。ただヘタウマと超達筆といった極端に違うその両方ができるのはすごいですよね。両方でて、しかも両方出してしまう。普通だったら、どちらかにするとか。その辺が自然というか。でも、自分はちまちまうまく描くのではなく、今のようにぶっとんだほう、こっちなんだっておっしゃってますよね。

会田:そうですね、ええ。ベースはこっちだということを認識していただきたい。そうすると僕は楽になって、またいろいろ頑張って、丁寧に描いたんだっていう風になる(笑)。お疲れ様って思ってくれるといいんですけど。

岡部:ともかくすごいお疲れ様っていうか、映画で『人プロジェクト』の制作風景を見ていて、あんな風に制作をいつもずっとやってらしたら、死んでしまうのではないかと、とても心配しましたけど。

会田:あの、いやいや(笑)。映画の『人プロジェクト』は要するに、スターウォーズとか最近のロード・オブ・ザ・リングとかを見れば分かる通り、あの架空の風景で、遠近法でばあっと地平線の彼方まで広がってる風景なんてCGを用いれば簡単。多分、靄が何%とか、森を作るソフトもあるんじゃないですか。あんな絵はCGだったらちょちょいのちょいで、いや、それはCGを馬鹿にし過ぎかもしれないけど(笑)。ねえ、下らないわけ。その下らないピエロな感じを出すために描く。でも確かにあのピエロな感じは、映画というドキュメントがあったから残ったかもしれないから、それはありがたかったかもしれないですね。ピエロというかドン・キホーテですね。


会田誠「大山椒魚」 2003 パネル、アクリル絵具 314X420cm
© ミヅマアートギャラリー

04 サタンの天使姉と好感度の高い作家の岡田さん

岡部:(笑)。映画見ないかぎり、あんな感じで描いてるのは想像できなかったです。かえって、今の個展のような描き殴った作品のほうが、会田さんが描いてるというイメージは沸きます。ただ会田さんの代表作とされている絵は具象的で、図象として見ると、『美しい旗(戦争画RETURNS)』の焼け野原で国旗をかかげている韓国と日本の少女たちとか、とてもナショナリスティックだったりするわけですが、もっとよく入り込んで内容を見ると、実際はフェミニストで左翼だなと思ったりするんですね。

会田:いやあ、フェミニストで左翼ですよ。わたしの母親はフェミニストで、わたしの父親は左翼ですからね。もうすごい合金です(笑)。

岡部:ご兄弟は?

会田:姉がいますけどね。一人だけ。我が家は僕を抜かせば、何だかんだで全員、福祉人間になっちゃった。姉は今はただの専業主婦ですけど教員で、キリスト教系孤児院のかわいそうな子どもたちや親のない子の仕事、明日のジョーに出てくるお姉さんみたいな仕事もやってました。

岡部:たしかインタヴューだったと思いますが、お姉さんの影響を受けていると書いてありました。

会田:ああ。それは福祉とかとは別。勤めてたのは天使園といったと思うけど、今は天使な顔してる奴の思春期、中学の三年間ぐらいは気違い、まさにサタンでした。いやもう弟いじめ一点ばり。

岡部:(笑)。逆にかわいかったからじゃないですか。

会田:僕がおどおどして、寝小便たれで、中三まで寝小便してたし。ちょっと挙動不審な、いじめて君だったことが大きいんですけどね。それに、性的な成長の過程のホルモン不安定で、どんどん本当に、サタンていうのは乗り移るんだなあって思った。馬乗りしたり、ビンタしたり、寝小便のパンツを友だちに見せようとしたり、じらしたりね(笑)。いやあ、もうほんとに。

岡部:確かに大変そうですね(笑)。今は会田さんは岡田裕子さんとご結婚なさって、息子さんもいらっしゃるのですが、もっとも身近な女性、妻の岡田さんについてですが、彼女もアーティストですよね。会田さんは岡田さんの作品をどう思われているのでしょうか。

会田:どう言いましょうか、女流の作家の中では、いろんな女流の中でも、まあ妻じゃなくても、好感度は高い方ですね。岡田さんより、ブイブイ、ブイブイ言わせてる人たち、たとえば、やなぎみわさんでも束芋さんでも、みんな頭いいしすごく優等生。女性のアーティストでブイブイ言わせてる人って、ほんと優等生ですよね。で、ちょっと、優等生過ぎて鼻につくところがないこともなくて。岡田さんは、好感度は高いですね。また油絵科っていうことが大きいんでしょうけど、彼女は体質が油絵科で、あまり作品のコンセプトとかの本質を語ってないけど、絵の具をねちねち、絵の具はあまり実際には使わないとしても、ちょっとこう悪戦苦闘してねちねちする。その不手際なところが好感度は高いです。でもコンセプトについては、僕はほとんどノータッチですね。

岡部:最近は、お二人で企画して家族展などもやることが多いですよね?

会田:でも妻はやっぱり悪いですが、あまり作業はやってないようなもんで、しばらくはヴィデオかな、なんていってますけど。次ちょっと話があるんですよね。それで、子供とどうしようかななんて。彼女はミヅマでバイトしつつ作品を作ってたりしたし、短い時間でちゃちゃっとやるのに慣れてるから、いいのかな。

岡部:会田さんがお腹大きくなったみたいな岡田さんの作品がありますよね、あれ面白いなと思っていたんです。

会田:ええ、お風呂のやつですかね。僕のお風呂に関してだけは本物で、もうすっかりはだけてて。(笑)お風呂でカエルみたいにお腹を膨らませて撮って、CGでお腹の境界線を10%くらい膨らませた程度で十分に妊婦なんですね。岡田さんが撮って合成した写真作品です。

岡部:フェミニストの会田さんはフェミニストのジョン・レノンみたいに、家事もやられているんですか?

会田:家事といっても掃除、洗濯だけは家事といっても掃除、洗濯だけは嫌いです。でも、炊事は得意ですよ、下宿料理。まあ手際のよさなら、妻よりずっと早い。妻の料理を見てるといらいらしてきますね。なんかこう、奥さんのゆっくりクッキングを見てるみたいで。そんな切りそろえなくていいんだよ!みたいな。

岡部:(笑)一番の得意料理は、バーべキューですか?

会田:ま、なんでもですけど、だいたい煮る関係が好評ですね。スープ、シチュー、おでんとか筑前煮みたいの。料理はよく展覧会前とか、なにかの締め切りとか、やばい時に突然スーパー行ってくるとか言って、食材を買ってきて、いきなりとんとんってやって、岡田さんを不安がらせるんです。精神がやばいときに安定させる為に、料理を始めたりして、そういう時は煮物がいいんです。弱火でコトコトやるのが。数時間後に食えるとか。炒め物も好きですけどクレアおばさんの煮物みたいのがいい。すいません、あんまり面白くない話で。(笑)

岡部:岡田さんとのなれそめはアメリカだったのですか?アメリカから突然二人で帰って来たみたいに言われてますよね。

会田:それはちょっと生臭い話で。お互いの、裏切りの、歴史を語ることになるので、まあニューヨークでってことにしておきましょう。

学生:結婚式はなんで墓地でされたんですか?

会田:玉姫殿とかは照れるし、花見がしたいし、ちょっと変わったことしたくて、お金を使いたくないから。

岡部:いろいろアーティストたちが繰り出して、すごく楽しそうでしたね。

会田:昔、椎名誠の小エッセイを読んでいて、チベットの山奥の村とかに行ったら、みんな心から祝福してドンちゃん騒ぎ、そういういい結婚式を見たというエッセイで、僕も玉姫殿的結婚式なんかくそ食らえだし、そうだと思って、僕もやるなら日本でそういう空間になるとしたら花見かなとか、十代の頃から思ってた。

学生:では、企画者は会田さんご夫婦ですか?

会田:妻はしぶしぶ。今でもまだウエディングドレス着たかった、みたいのある。(一同笑)だから後で、作品の撮影の為に借りた偽物のサテンで出来た仮装用のウエディングドレスを着てもらって撮影して、これでいいじゃないかってお茶をにごそうとしたけど、今でもぶつぶつ言ってる。あれは黄ばんでた、とか。(笑)

岡部:女性には昔から夢があるから。

会田:結婚指輪のこともまだうじうじ言います。ニューヨーク行くなら、ティファニーの場所わかるとか。カルティエ行くんならとか………(笑)


会田誠「紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)」(戦争画RETURNS) 1996
六曲一隻屏風(襖、蝶番、日本経済新聞、ホログラムペーパーにプリントアウトしたCGを白黒コピー、チャコールペン、水彩絵具、アクリル絵具、油性ペン、事務用ホワイト、鉛筆、その他)169X378cm
© ミヅマアートギャラリー

05 どんな侵略もむかつく

岡部:「戦争画リターンズ」や『ミュータント花子』を見ていて、会田さんは反米だと思っていたのですけど、反米の会田さんがアメリカに行って、いったいどうなるのかと。アメリカに滞在していて、ご自分ではそうした面を全然意識してなかったですか?

会田:そうですねやっぱり反米という面もあるから、友達も結果的にはできなかったし、それは英語が大きいんですけど。かといってどこかですごいディスカッションや熱いけんかをして、反米家会田を見せつけてきたわけでもない。また、あの頃はブッシュじゃなくてクリントンだけど、ブッシュと会って話したわけでもないから、ニューヨークに行って会うとすれば、アート関係の人で、大抵がね、アメリカの政治方針をよしとしてないアメリカ人。あるいは、ヨーロッパから短期滞在してる、僕と同じようなアーティストだった。むかつくアメリカ人に面と向かって遭ったというような気もしないから、わからないですよね。

岡部:今回のミヅマの個展作品の中に、渋谷のテロみたいな絵がありましたね。現在の日本の状況で、テロが起きたら困りますね。

会田:うーん、僕はちょっと心配性なんでしょうかね。でも、みんなが思うし。渋谷が爆発するなんてガメラでもあったと思う。僕はふっと想像しちゃう。八公前とかでタバコを吸いながら待ってると、ここにでかい爆薬しかけたら、いっぱい吹き飛ぶだろうなと思っているようなのが、群集のなかに1%位はいると思っちゃうんですよ。ただそれだけですけど。思っちゃうと、まあちょっと描いてみるか。悪いほうに想像する癖があるかもしれないです。でも時代が時代ですから、備えといたほうがいいんじゃないですかね。(笑)

学生:映画の最後のほうで、ドキュメントのおまけみたいにミュータント花子がでてきたじゃないですか。で、あれ、侵略してるところで、野獣の顔をした兵隊が、「げへへ、なんどもファックしてやるぜ」って書いてあった。会田さんにとっては侵略という行為はそういうふうに捉えられているのか、飛行機が飛んでるのとかを見ると、少しはスリリングなものとしてとらえてるのかとも思うし。今のアメリカのイラクに対する態度をどう見られてるのか知りたいんですが。

会田:僕は多分馬鹿で、極端なくらい感情的に、反射的に侵略ってことにムカツクタイプで、まあ、父親が左翼だったからだと思うんですけど。NHKの教育番組なんかで、6世紀ヨーロッパ史とか真面目な人間講座みたいのがあったりするでしょ。人が古代に攻め入ってとか、そんな話でもむかむかしてきて、人の国なのに勝手に土足で踏み込みやがってとか、だからやっぱり、アメリカ大陸とかの征服を考えただけで、基本的にむかついている。南米ももちろん。これはばかばかしい癖くらいのものだけど、そうなんですよ。そのくせ日本軍の太平洋戦争の時は、ちょっと日本軍の自己弁護的な考えを抱かんでもないとか。矛盾してるところもあるでしょうね。

岡部:『にゅうようく紐育くうばく空爆のず図(戦争画RETURNS)』は、真珠湾攻撃に続く日本軍の夢ですよね?全然叶わなかったけれども。

会田:そうですね、だから矛盾している。征服のエクスタシーも分かるんですから。

岡部:でも日本の戦争画は、写真のかわりになるべく、戦場のリアリズムというか、そういうものに終始していて、露骨な征服の夢や欲望は語らずに、ある意味でおとなしい。結局、会田さんは、当時の日本軍の持っていたはずの夢と欲望みたいなのものを描いているという面もありますよね。

会田:確かに。あの頃の帝展とかの画家たちは僕ら現代美術家よりよっぽど大人です。芸術って言うのは戦争があれ、歴史が動くようであれ、人間を描くものだとか、あのころの文化人はそんなふうなところがあって、ある意味で大人。

岡部:そうですね。戦争にも意外と距離を持って描いていた。それが芸術家としてのプライドというか。

会田:それがつまんなくもあるけれど。

岡部:絵の意味や内容、何を描きたいのかよりも、みんな比較的、いい絵を描くことに拘っていたところがアカデミックだなと解りますよね。見ると。

学生:『≒会田誠 〜無気力大陸〜』のドキュメンタリーのなかで、自分が泣いた赤鬼の悪い役になって、作品を作ってる様なことをおしゃっていたんですけど、実際には社会批判があるし、わりとコンセプチュアルな感じがするんです。中刷りとか集めたりします?

会田:集めないですね。集めなきゃいけないとか思いつつ。中刷り以外だと、テレビのニュース、たまたまつけたNHK特集とかね、ETVとか。面白いとだいたい最後まで見てしまう。せいぜいそれくらいで、少ない情報でやってますね。

岡部:今回の「MY県展」はディズニーの厳しい著作権に対する批判など、これまでの中でも、社会風刺が特に強いく感じられましたが。

会田:ディズニーに関しては、べつに批判じゃないです。ディズニーが著作権を守るのは当然だと思うし。文句をいってるんではなくて、目的もない自爆的な爆発。あの壁に正面衝突したって、あちらはびくともせず、爆発するギャグみたいなもので、目的はないですよね。理想としては、私生活とか社会的なものとか、スケベ心とか、哲学的疑問点とか、ふとした日常の喜びとか。そういう、人生にいろいろあるものが、自然に全部あるような。シリーズや、あの後の「みんなと一緒」が今後も増えるのか、増えないのか、少し増えることだけは確かだと思いますけど。膨大に増殖するかどうかは、わかりません。できれば、バランスが森羅万象あるのが理想。社会モノもないこともないということです。

06 金の出入りがなければいい

学生:以前、山口晃さんにインタヴューしたときですが、彼はギャラリーと特別な関係はないけれど、会田さんは三潴さんが家賃を出しているとか、特別な契約があるみたいだと話されていたんですが、こうしたギャラリーとの関係はいつからですか?

会田:いや、そんな特別なことはないですよ。今は事実そういうことはなくて、アメリカから帰ってきてからしばらく、映画で出てきたスタジオは三潴さんの親戚とかの関連で、僕はたしかに時々甘えてやるほうですけど。山口君はわりにクール。僕は面倒くさいんですよね。どうもうちの父親が左翼だからだと思うんです。心がキレイだとかいいたいわけでもないんだけど。お金のことを考えると疲労感が襲ってきて、思考停止になってしまう。

岡部:やはりね。そう映画を見てても思いましたし、パリで村上隆さんがキュレーションして、会田さんが参加しているフォンダシオン・カルチエの展覧会も見ています。だからあの会田さんが手作りした『新宿城』にも実際に入らせていただきました。ああちゃんとホームレスの夢を実現してると思いつつ。会田さん自身、あのダンボールのお城に住むのがピッタリだと思ったりしましたが。

会田:そうそうだから、お金にキレイじゃない証拠に、確定申告とか嫌いで、税金を払わずに済むならいくらでも逃げたいと、とにかく脱税できるだけするぞと。とにかく金の出入りがなければ、無いのが一番いいです。

岡部:ある意味、ホームレスにあこがれていたりするのですか?共感するとか。

会田:ええ、そうですね。今ね、体力的にあれですけど。少なくとも多分、僕は大学は一つしか受けてなくて、一浪で芸大行ってラッキーだったのですが、たぶん二浪はする気たぶんなくて、もしも、という仮定はわかんないけど、ヴィジョンとしては、落ちたら京都か奈良にいて、ホームレスというか、関西を放浪するって決めて、周りの友達にもそう言ってました。若い頃は、放浪する天才の卵の俺、みたいな憧れ。(笑)そうしたら幸か不幸か大学に受かっちゃって、平凡になちゃったんです。まあ今は特に、冬が近づくこの時期に、ホームレス万歳という話は出来ないですよ。風邪引いているし。

岡部:そうですね。お金に頓着しない会田さんでも、今回のミヅマの「My県展」も、随分作品、売れてますね。

会田:おかしいですよね。値段も高いのに。いやあ本当にわからない。僕も、落ち着いて描いたものと、いいかげんそうに描いたのと、例えば手放したくないという愛着度から言ったら、金銭に置き換えても引けを取らない金額にしてもいい。丁寧に描いたやつでも手元に置いときたいという愛着が全然無いのもある。そういう意味ではそれは安くてもよかったりする。

岡部:では手放してもいいという作品はどんなもので、逆に絶対手放したくないのはどれですか?

会田:なんせ『オオサンショウオ』とかはでかい絵ですけど、もともと手放すつもりで、ほとんど壁画のつもりで描いている。人間が二人出てくる絵ですけど、一人がまあ、身長3mくらいになって、ともかくでかすぎる。そういう意味でメキシコの革命壁画みたいな感じです。あれはたぶん美術館で鑑賞させても、感情移入できない巨大サイズです。それで三潴さんとは冗談で、あれを売るところは美術館ではなくて政府機関とか、今、首相官邸を作っているから、そこのエントランスとかに売り込んでくれないかって言ったら、無視されましたけど。でも意味的にはそんな絵になったんですよ。あれはもう本当に家になんか置きたくないですね。それにくらべて「みんなといっしょ」のいつかはとっておきたいな、というのはある。まあそれを言っていたら、仕事というか生活というか、にはならないので、結局、全部売ってますけど。

岡部:ギャラリーはミヅマアートギャラリーだけですよね。

会田:そうですね。関西とかは無いですし。たとえあったとしても僕はそんなに作品を作れないので、久々の展覧会がマジックペンですからね。

07『スーパーフレックス』のような展覧会を東現美がやってもいい

岡部:椎名誠のエッセイで墓地の結婚式をイメージしたと話されてましたが、仕事をしていない時には、よく読書などをなさるのですか?

会田:いや、そんな高尚なことは。たまには、突発的に海行きたいみたいな感じで、日常じゃないんですけど、何やってんでしょうね。確実にやってることは、お酒。昼からは飲まないですけど。

岡部:美学校で教えられてもいますよね。何年前からですか?

会田:2004年で4年目。今は週一日。今年で3年目、4年やってやめるかな。

岡部:講義ですか?制作演習のようなもの?

会田:いや、何もしてないようなもので、今年の方針は、来年二月に群馬の近代美術館で4人展がありまして、1人1作家、一展示場使うような。その展覧会の僕の展示室は、美学校の学生主役で、彼らに思い思いに展示室を作らせようと。授業というかその展覧会の準備に1年かけるという授業のはずなんですけどね。美学校にはいいところもあるんですが、皆様のような美大生と違って、僕のことも知らないし、美術の美の字も知らないような人が、自分探しの旅の途上でなんとなくきてるようなことがけっこう多くて困ることもある。いや、いやいいんだ!やつらに言ってやらなきゃならない。(一同笑)

岡部:どでかいウンコの大作のお手伝いしてるのは美学校の学生さんたちですね。みんなとても楽しそうにやってますね。

会田:ええ、何やったらいいかわかんないようなやつらだから、とにかくこき使っちゃえみたいな。ええ。

岡部:そういう人生と人生のぶつかり合いみたいなことも、大切だし、すごくいいんじゃないですか。

会田:そうですね、まそう思って。素人の作るものとかもけっこう好きなので、ほとんど素人みたいなやつらが多いので。無理やりインタレレーションとかして、インスタレーションのイの字も知らないやつらにやらせると、どうなるのかな、とか。僕の好奇心なんですけど。

岡部:群馬の展覧会楽しみです。グループ展などでも会田さんの作品はサイズが大きいし、迫力あってばっと目立ちますね。最近、地方の美術館でのグループ展が多いようですね。日本の美術館の運営状況はますます悪くなってますが、企画展では全国的に日本の中堅や新人作家を積極的に取り上げたりするようになってきています。会田さんは、アーティストとして、現在の日本の美術館の状況はいかがですか?会田さんの場合は大作が多く、先ほど、まず一般に見てもらいたいという気持ちが基本にあると話されていて、限られた個人しか見られない場所よりも、美術館のような公共空間での展示を重視していらっしゃる気がします。そういう立場から今の美術館状況をどうごらんになっているのかと。日本の美術界に対しては、かなり厳しいところもありますし、そういうことも含めて。

会田:特に変化は僕はわかんないですけどね。でもお金が無いなら無いで、そういう時こそ若手使えば、若手はみな名誉が欲しいから、僕だってそんなにお金がでなくても、参加しますよね。

岡部:いい展覧会をしてますが、企画の内容にはまだ自由が足りないように感じられます?

会田:そうですね。僕側の意見になるけれど、つい最近、ロンドンの出版社から出た『スーパーフレックス』という画集があって、日本のアートに限らず、都築響一さんなどが編集に携わった本で、アートとサブカルチャーと素人の表現を、ぐちゃぐちゃに混ぜた画集です。僕も入っていて、日本のアートや現代文化を紹介するものだけど、王道ではなく、やや捻じ曲がった内容で画集としてすごく面白いんです。外国で受けると思う。ぱらぱらっと見てても面白い。こういう展覧会を東京都現代美術館がやるべきじゃないかと、ふと思ったんですね。

岡部:そうしたら、大勢の人が見てくれますね、きっと。

会田:大勢こないとしても、重要なのは、これは小沢剛君なんかが言ってたことでもあるけれど、日本で展覧会を立ち上げてそれを海外に持っていって日本の紹介をするといった、こちらから発信するのが各国の現代美術のナンバー1の美術館の役割だから、それはまさに都現美の役割だし、そのぐらいの野心がなくてはおかしいですよね。MOTアニュアルという現代美術展もいいけど、自閉的だなとちょっと思いました。でも美術館に対する注文とかは、僕はあまり判りません。

岡部:確かにもっとパワフルに、積極的に海外に紹介するのは大事です。今の状況だと、MOTアニュアルにしても、開催するのが精一杯といった青息吐息の弱弱しい感じになっていて、かわいそうというか、本当ならパワフルに攻めて行動してほしいし、そこまでやってもらえたら嬉しい。

学生:会田さんの作品は漫画的だったりアニメ的な要素を多分に含んでると思うんですけど、好きな漫画があれば教えていただきたいのですが。

会田:(笑)僕の今回の「みんなといっしょ」も、水彩とマジックペンで描いてるから、輪郭で描くから結果的に漫画的な絵が多いけどね。でも子供の頃、他の人と比べて漫画を多く読んでた子でもなく、普通にこの時代に育ったら最低限読んでるぐらいで、子供の頃に読んでいた漫画も、無難な手塚治とかを中心で、あまりバイオレンスのないものばかりだった。デビルマンも、現役では読んだことないんだよね。だからそんなにわからない。猛烈ア太郎とかの第1巻、パーマンの1巻,2巻とか、メジャーになったものの最初の頃のはいいし、好きだね。猛烈ア太郎は最初のころはギャグ漫画ではなく、人情ものなのね。だんだん脱線してギャグになったけど。高度経済成長期の独特の雰囲気。これは単におじさんの郷愁ですけどね。若い人たちにおすすめしてもしょうがない。だってほんとに最近のいけてる松本大洋とか、そんなの僕が薦めなくたってみんな知ってるでしょう。僕が教わりたいくらい。僕が知ってて君らが知らないのなんて古いのしかない。すまんね。

学生:いえ、とんでもない。ありがとうございました。

08 戦争映画を作りたい

岡部:会田さんは大作作家でもあるのですが、本当にメキシコのような壁画を描きたいですか?

会田:壁画?今回、『オオサンショウオ』の重たいのをヒーヒー言って移動したり、階段上がらなかったりすることを経験して、でかいの描くなら動かさないで、壁画とも思いますけど。ま、壁画の哀愁もありますよね。岡本太郎さんの壁画はすでに消滅した作品もあるし。太郎さん自身が壊していいっていうのは、気持ちいい感じではあるけれど。建物すべては無常だから、ワールドトレードセンターも壊れるし、建物の永続に期待も出来ない。ほんとは身軽なほうがいいのかもしれません。だから、そういう意味では、コレクターへの「商品」もいいのかも知れません。何かあったとき、作品を愛してくれてるコレクターが、火の中を抱えて走れるくらいのサイズのほうが。

岡部:会田さんの大作は、すごく大きくてミュージアムピースのような完成度ですが、テーマのせいか常設のものがない。どこかに常設にするのだったら何処なのだろうと思って。先ほど冗談で首相官邸とか、言われてましたが。

会田:首相官邸はすごく権力ぎらぎらしてて、冗談としていい対象ですけど、僕はパブリックアートは僕は嫌いなんです。パブリックと言っても首相官邸と、そこらの公園とは違うと思う。自分のエゴイスティックな立体なりなんなりを、みんなが集う公園とかにずっと居座り続けさせるのは、偉そうでなんかおこがましい。成功例もあるでしょうけど往々にしてパブリックアートは邪魔だし、ないほうがいいようなものばっかり。社会構造的にもパブリックアートはあわないし、日本では成功例は少ないんじゃないですか。一番いいのは、待ちあわせ場所である、古くは西郷さん、八公犬、そして今では六本木の蜘蛛ですか。待ちあわせ場所という機能によってだけ愛されるパブリックアート群。日本はとりあえずそうじゃないですか。あまり期待してないんですよ。

岡部:今後は、ご自分でも映画や漫画を制作なさりたいのですか?

会田:なんとなく映画はやってみたいですね。子供の頃から、多少映画監督になりたいというのがあって、でも子供の頃から温めてるのは壮大で、制作費が何億かわからない。アーティストが個人で作れるような感じにはならない。そもそも僕は中学生の頃から、南京虐殺ものとかの本を読むのがすきで、それはあった、なかったみたいな。太平洋戦争、「戦争画リターンズ」つくったのもそうですね。そういうどろどろした映画のシナリオだとか書き始めて途中で止めたような中途半端なのが、高校時代にはいっぱいある。ああいうのも金がかかるし、やるならやるで、大掛かりにやりたい。

岡部:最近は日本の映画はわりと活気もでてきているし、いろいろあっていいですよね。若い映画監督も作れる状況になっているのではないでしょうか。

会田:なるほど。僕、全然見てないので、勉強します。映画をつくろうなんて口出すようなやつは。勉強もしていこうかな。

学生:『≒会田誠 〜無気力大陸〜』の映画で、作品をつくってるときに、「作業はあんまり楽しくない。でも女の子描いてるのは楽しい。」と話していたんですけど、女の子描いてる方が楽しいですか?

会田:そうねえ、ついこのあいだのトークショーでも、似たようなことを語って、それはそれなりに納得する話だし、会場も笑ってくれる話なんだけど。ちょっと笑わせるには長くなる。どうしようかなあ、女の子はどっちかっていうと描いてて楽しいですよ。その理由、ルーツを語ると、中学時代のオナニーの仕方からさかのぼって…まあそのくらいにしておこうか。昔、僕の性の目覚めのころ、女の子の絵を描くことと、そういうことを妄想することがワンセットだった。それ以来女の子の絵を描くことが、別格の行為になってますね。ま、生臭い話になるので。あ、十分してるか。(笑)
(テープ起こし担当:池内麗佳、高木嘉代)


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