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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

小石原剛(特定非営利活動法人ミーツ理事)×岡部あおみ

日時:2001年5月13日
場所:岡山禁酒会館とカフェ

01 自由工場での現代アートの出会い

岡部あおみ:ミーツが、まずどういうグループなのか教えていただきたいのと、立ち上げのきっかけなどをお聞きできれば。

小石原剛:展覧会自体を自分たちでやるというより、企画をかたちにするためのサポートの仕事をメインにしています。私は美術の仕事をしていましたが、個々のメンバーは、音楽、あるいは代理店で商業的なイベントを行ったりしていた連中が、従来のやり方ではない仕掛けができるんじゃないかと、1997年の夏ぐらいに集まったのが始まりでした。3人のメンバー(小石原剛、山田和哉、坂本真一)が集まる以前のことですが、岡山にオルタナティブスペースがありました。 1994年に市役所のそばの古いビルを岡山市が買い取って、新しい庁舎を建てるという話が起きたんです。移管する前に空白期間があり、ビルのオーナーが、テナントが出るまで岡山の若いアーティストに使わせようとメセナ活動としての場所の提供があったんです。自由工場というところです。

岡部:80年代に牛窓で国際芸術祭を主催し、オリーブ園を経営なさっているメセナの服部恒雄氏という方のオーナービルでしたよね。自由工場にアートイベントを見に行ったことがあって、古い空きビルをよく利用しているヨーロッパみたいだなと思いました。小石原さんも一緒に活動なさってらっしゃったのですか?

小石:ええ。

岡部:自由工場のオルタナティブスペースはどれくらい続いたのでしたっけ?

小石:1993から94年ですけども実質1年半続きました。終わりがわかっていて、そのときまで貸しましょうということだったんです。

岡部:そのスペースに関わったときに、さまざまな人達との出会いがあって、グループになり、そこでの経験がその後のミーツの方向付けになったわけですか?

小石:そうですね。そこでミーツの立ち上げのメンバーと出会い、私自身、当時は27、28歳くらいでしたが、初めて現代美術にも出会ったんですね。それまでは油絵をやっていました、具象です。

岡部:大学で現代アートの存在を知る機会がなかったということでしょうか?時代的な問題でしょうか?

小石:岡山という地域性や私の居た環境がそうさせていたんでしょうね。東京だったら考えられないでしょうけど。現代アートに触れて、「こんな面白いものがある」と思い、それを機会に現代アートに来てしまいました。絵を描いているときに絵画の限界みたいなものを自分なりに思っていましたし、たまたまそういう活動があって、地元だけでなく、いろいろなところから人が来て、話を聞いたり、実際やっているのを見ました。今になって一番の強みかなと思うのが、現代美術のわからない人の気持ちがよくわかることです。自分も27歳や28歳までよくわかりませんでしたし、わからないものだと思っていました。自分にあてはめてみると、この人はどこがわからないと思っているのかがわかったりするんです。

岡部:当時は油絵を描きながら生活していたのですか?それともアルバイト?

小石:アルバイトしながらです。自由工場で出会った人たちがすごく面白くて、また自分でやっていてもすごく面白くて、コミュニケーションのツールとしては絵画よりもはるかにヴァラエティに富んでいますしね。

02 動いている小学校での展覧会

岡部:共同制作の方法がかなり見られるようになったのもちょうどその頃からですね。自由工場はそういう意味でも、よいきっかけになったわけだ。

小石:よかったです。建物がなくなって、人的ネットワークだけが残ったんですけれども、すぐに直接ミーツにつながったわけではなくて、その後そこで出会った人たちと小学校のプロジェクトをやりました。岡山市御野小学校の100周年記念事業のイベントが決まっていて、でも中身は決まっていなかった。たまたまその小学校に子どもが通っていたので、PTA会長として「アート・ワークみの」をやりました。会長の立場でやるのが一番やりやすいと思い、一年かけていろんな人に声をかけて。

岡部:その小学校のプロジェクトはミーツのメンバーの方はまだ関わっていないのですか?

小石:関わっていた人もいますが、主に小学校の子供のお父さんやお母さんや地域の人が中心でした。私もついこの前まで現代美術をわからないと思っていた人間でしたが、実行委員会の中で美術に携わっていた人間は私しかいなかった。他の方たちは、PTAのメンバーだから、その人たちに自分の言葉であれこれ説明しなければならない。みんなに「現代美術って、なんなの?」と聞かれても、同じように「わかりません」としか言えませんでしたが、実際に現代アートを見せて、一緒に体験して知ってもらう、ということにしたわけです。

岡部:小学校のプロジェクトはどういう内容だったのですか?

小石:小学校のプロジェクトは100周年記念の一年間を4月から翌年の4月31日までとして、毎日が100年目ということで、アーツプロジェクト自体は夏休みの終わり10日前ぐらいから学期が始まって5日間くらいの約2週間に20組のアーティストを招待して、学校の中も外も使って、作品を展示したり、ワークショップをやったりしました。子供が関わったり、地元の人たちが100年記念の記念碑をつくるワークショップに参加するとか、そんなことをやっていました。夏に招待したアーティストの作品を展示し、秋には子どもたちの作品発表の場所を設けたりとか、地元のお父さん、お母さんたち、若い人たちの発表する場として使ってます。表現ということで学校を使っていろんな展開をしましょうというプロジェクトだったんです。

岡部:予算は学校がかなり負担したのでしょうか?

小石:今の日本の仕組みでは、学校からお金はほとんど出ない。周年記念事業に行政はお金を出してはいけないことになっているそうで、全部寄付でやるんですよ。

岡部:保護者からの寄付ですか。

小石:そうです。PTAや地域の方々からの寄付ですね。5000世帯あるので、卒業生など地域の人に一口1000円で寄付をお願いしました。5000世帯だと500万円くらいですね。

岡部:なるほど、すごい額になりますね。

小石:そうですね、そのためには町内会の組織ですとか、既存のそういう人たちの働きが大きかったです。わけのわからないものだと1000円も2000円も出しませんから、寄付をしてもらうのに、結局、何回も話をする。説明する人も、自分が説明しなければならないから、そのイベントすべてが身近なものになっていった。お父さんお母さんたちにグループに分かれてもらって、作家が事務局に来たときに受け入れスタッフや制作スタッフとして手伝ってもらい、設置を行ったんですね。

岡部:すごくうまくいったのでしょう。

小石:ええ、2週間の間に3000人ぐらいの人が見に来てくれました。

岡部:おもに、小学校の卒業生や、実際にかかわりのある人たちですか?

小石:かかわりのある人やいろんな人が来てくれました。

岡部:有名なアーティストがいたし、集客力があったということでしょうね。

小石:アーティストも閉鎖になった学校ではなくて、現役で動いている学校でできるということが面白かったんだと思います。やっている中で、もう少しすんなりできる仕組みづくりとか問題点も見えてくる。別にモニュメントがたってもしょうがないし、展覧会ができることが目的ではないので、もっとみんながいろんなものに接したりできる機会をつくれるようにと思って、そのシステム作りをどうしたらいいかと、だんだんミーツになっていったんですね。

03 NPOミーツへの道

岡部:そうした方向性を考えられているときに、私も企画委員の一人だった国際交流基金の地域・草の根交流欧州派遣事業「芸術と社会を結ぶ」という海外研修に参加なさって、いろいろなケースを見る機会があった。しかも、その期間にNPO法が日本で成立し、こうした可能性への歩みが始まったということでしょうか。

小石:何かの企画を立てたときに、話をする相手は必ず組織、行政や民間企業ですから、まず何をするかではなくて、どこがどこと組んでやるかの話になる。フレームの話。それを、ただの美術好きの一人の人間が行って、話をしても絶対に通らない。

岡部:イベント一回ごとに実行委員会をつくるのも大変ですし。目的があって、やることが決まっていれば実行委員会をつくれるけれど、方針はあっても何かをいろいろやっていこうというグループの場合は、実行委員会方式では不十分ですしね。

小石:そうです、つくれませんよね。自由工場はとても面白かったわけですけれども、箱があるがゆえの活動で、そこに来た人しか享受できないという限界がありました。私は、緩やかな箱のないネットワークのようなものがつくれて、機会があるたびにその場所だったり、時間だったりに寄生しながらいろんなものが集中して、面白い見せ方ができればそれでいいのではないかと思っていた。そこにNPO法ができたので、これかなと思った。会社をつくろうかなと考えたこともあったけれど、NPOという新しいセクターでやるのも面白いかなと思ったんですね。

岡部:最初NPOとして立ち上げられたときは何人がスタッフとしていたのですか。

小石:3人です。一人は自由工場のなかでFMのミニ放送局をつくった人、実際に岡山にコミュニティFMを立ち上げた人物です。音響とか照明とかを扱っていて、舞台とかステージ関係のことをやっています。もう一人も自由工場で出会った人で、広告代理店に勤めたあと独立して自分でイベントなどを仕掛けていく仕事をしていました。その2人と私が集まって3人で面白いやり方ができるんではないかと、活動を始めました。

岡部:その広告代理店の方は今でもそのお仕事は一応続けていらっしゃるんですよね。

小石:はい、続けています。NPO法が施行されたのは1998年の12月3日。「NPO法がもうすぐ施行になるよね」という話をしていて、「それじゃ、聞きにいってみよう」と、県の担当の窓口に、施行になったその日に3人で話を聞きに行きました。2人は自分で会社をつくった経験があったので、それに比べるとずいぶん簡単にできるし、お金も要らない。基本的には書類さえ出せばいい。A4の書類で20、30枚ぐらいの申請書の作成だけ。資産の計算書も付けなければならないけど、ゼロならゼロで構わないし、基本財産はいらない。活動の目的がNPO法に照らして問題がなければ認証されます。こんなに簡単ならつくろうかということで県庁の帰りに近所の喫茶店でつくることになった。ただ、人を集めたり、いろいろな書類をつくるのに時間がかかり、実際に県庁に設立申請に行ったのは翌年の11月。数ヶ月かかりましたね。書類を提出して認証までにさらに4ヶ月期間がかかった。99年の11月の終わりに提出して、実際に認証されたのは2000年の3月。

岡部:認証される、されないということを待たずに、ミーツ活動は始まっていたのでしょ。初期の頃はどういうものだったのですか?

小石:駅の反対側の閑散とした商店街の中に行政がつくった国際交流センターがあり、稼働率が低くあまり使われていなかったけれど、いいホールがある。そこにアーティストを呼んでコンサートを仕掛けた。プロモーターがあまり呼ばないような中世の古楽器を再現する人たちのコンサートが一回目の活動です。

岡部:自分たちで企業などから協賛を集めて実施したんですね。

小石:ええ、それで少し安くチケットを設定できた。

岡部:収益もあったのですか?

小石:多少はありましたけど。儲けないけど採算をあわせるといいうことは立ち上げのときからやるようにしています。

岡部:そうした場合、小石原さんや3人のスタッフが働いた分のフィー(賃金)は出るのですか?

小石:「今は出なくても我慢しようね」ということです。メインのプロジェクトリーダーの分の日当は出す。サポートの人はボランティアという形。まったく収益をあげないのもよくない。みんな了解した上で、今回は彼がリーダーということで、彼の働きに対しては評価しましょうと。

岡部:アートイベントで、つねに3人分の収益をあげるのは難しいでしょうからね。

小石:最初は音楽系のイベントがつづいて、小学校のプロジェクトをやった同じ小学校で、そこ 出身のボーカリストがいてグループ活動をしていた。メジャーデビューするか、しないかのときで、いいタイミングだから母校で紹介しようと、子どもと一緒にその音楽バンドがワークショップをした。お互いの曲をアレンジしあって演奏したり。音楽の授業の中で行いました。正課の音楽授業の中で行うと、学校の校務日誌に載るから、学校の歴史に残る。PTAをやってるときにPTAがやっちゃだめなんだと思った。つまり先生たちが、あれはPTAがやっていることだと投げてしまうし、課外活動とかPTAの授業でやっても、何もなかったことと同じ。イレギュラーだから。それだと、先生たち自身の問題に帰って行かない。先生たちさえやる気になったら、プログラム提供は私たちがして、協賛金が必要だったら僕たちが集めてくる。子どもたちにもっといろいろ提供しようよと行った活動で、現在の総合的な学習の時間ができる前の出来事でした。

岡部:先生たちの反応はどうだったのですか?

小石:「こんなことができるんだ」と反応はよく、生徒たちも喜んでいました。ワークショップをやった同じ日の夕方に始めての地元でのライブをして、そこに昼間参加した生徒も来たりした。

04 1日のゲリラカフェ

岡部:その後はおもにミーツカフェの活動が中心になるわけですか?

小石:事業が整理されて現在は6つくらいの活動を行っています。ミーツカフェ、ミーツ・ザ・ミーツ、サイトの運営、メーリングバッグ、ミーツ道場、アーティスト・インデックス、キュレーション・ファクトリーです。町中の空き店舗で、みんなが見逃しているような場所へ赤いピンを立て、人とものを結ぶ。「こういう場所でこんな使い方をしたらもっときれいになるのではないか」という提案型のプロジェクトです。中身のソフトはカフェ、音楽、上映会と変わりますが。

岡部:で、結局カフェだけは一応常設にしたわけですね(2003年以降は、岡山市出石町の「レンタルカフェ・国吉」が恒常的な活動)。

小石:1日だけのゲリラカフェは、ONE NIGHT CAF_として、今もあちこちで毎月1回続いていますが。

岡部:ただ、空き店舗を探すのが大変ですね。現在、メンバーは3人だけではなく、広がっているのですか?

小石:今は30人くらいいます。

岡部:それでしたらリサーチも充分できますし。1回毎のプロジェクトに少しづつ集まってきたメンバーですか?

小石:そうですね。常設のカフェにではなく、月1のカフェに常設メンバーが集まってきた。

岡部:1回1回のゲリラカフェだからもう存在しないんですね。

小石:告知もしないです。家主と1日だけ貸してもらう交渉をして、日割りで家賃を支払い、飲食店を経営している人がメンバーにいるので、その人がマスター担当になり、ケータリングで一式もってきてもらう。これは路面電車1台を半日借りて、クラブにして、電飾もついている「電車倶楽部 LRT=Light Rail Transit」。

岡部:お金を払って乗ると、その中がカフェになっているんですね。おもしろいですね。降りるのを忘れてしまったりするんじゃないかしら。時間帯はいつごろだったんですか?

小石:夜の8時から10時ぐらいです。暗くならないと電飾が生きないということもあって。最初のワンデイ・カフェはミーツのウェブサイトのオープンにあわせて町中の空き店舗で行いました。このときはストリートでポストカードを描いて売っている若い人を連れて来た。 「場所を提供するから売ってよ」とお願いして。これは収益があがるんです。

岡部:1日だから、みんな来るのでしょうし。

小石:そうです。あまり告知しない理由はそこにもあって、1日だと必ずいろんな人が来る。そこで新しいネットワークができ、収益もあがり、一ヶ月分のランニングコストの部分は1回カフェをやると賄えるんです。

岡部:ランニングコストはいくらくらいになるのですか?

小石:事務所経費、通信関係、駐車場関係で、10万円あればいいのですが。

岡部:ランニングコストが10万円って嘘みたいに安いですね。

小石:東京では考えられないでしょ。それが地方の良さだったりするんですが。市街地の中の、商店街などでさまざまな問題を抱えているところでカフェをやる。

岡部:うまく人がそこに集まるようであれば、常設のカフェにもなりうるわけですね。

小石:私たちの悪口を言う人は「地上げ屋ミーツ」って呼ぶんですよ。今までカフェをした空き店舗はその後全部入居者が入ってるから。

岡部:ミーツとべつに関係のない人が入っているんですか?

小石:ええ、関係のない人です。ワンデイ・カフェをやっている時に近所の人が見て、「こんなことに使える」というように、話が進んでゆくようです。

岡部:でも、はじめてやる場所は、多くの場合、ずいぶん長く空き屋だったところですよね。

小石:そうなんです。10年とか、5年閉めてたり。結構若い層が入っていて、そうした事情を知っているかもしれないし、不動産屋さんから聞いてかもしれないですね。

岡部:そうすると、その地域のイメージも変わってきたりするのでしょうし、おもしろいですね。移動カフェは、ミーツの3人のメンバーがやってできることかもしれないけれど、常設のカフェは専属の人が必要ですから、メンバーが増えて、カフェをやりたいと思っている人たち、若い建築家、施工の人などみんなでアイデアを出し合って、やれるとしたら、とてもいいトレーニングにもなりますね。

小石:ミーツが何かを変えるのではなくて、ミーツが関わることでいろんなことが起きている。

岡部:カフェとか、カフェギャラリーをやりたい若者が増えてますが、やり方も分からない、資本金や場所をどうしよう、と言っているうちに時間が過ぎてしまうんです。

小石:ええ、まさしくミーツは「あなたのやりたいことをサポートします」で、それを形にするプロセスで、はじめてのことも覚えてゆければいい。

マルゴ・デリ/岡山

05 喪われた街のOSを発掘

岡部:ミーツの場合は、収益につながる事業としてやっている部分と、非営利のNPOとしてやっている部分の住み分けがうまくできているのでしょうか? NPOの収益授業に関しては、みんなあまり知らないと思う。儲けてはいけない、ボランティアだけとか、ファンドレージングした寄付は使えきらなければいけないとか思っているのではないかしら。

小石:そうですね。日本中そう思っていると思いますね。でもNPOは収益事業をしてもいい。ただ基本的に仕事を受注するかどうかは、NPOとしてのミッションに照らしてどうかということがあり、何でもは受けないようにしています。

岡部:うまく資金が回って、スタッフも持ち出しにならず、事業を発展させられるような実力のある金持ちNPOになりそうですか?

小石:ある程度はなりたいですけどね。今回のように、もともと土地を持っているような民間の企業と仕事をして、その仕掛けは行政がつくり、私たちNPOが入っていくときには、事業として行うからにはリスクをとれるくらいの体力がないと、話し相手になれない。ただの法人ということだけでは。ですから、ある程度収益を上げて、基礎体力をつけるのは大事だと思います。

岡部:NPOの体質って、千差万別なので、わかりにくいところもありますね。

小石:「NPOで文化事業のサポートをしています」と言われても、何だろうと思うでしょう。岡山市事業政策の企画担当の人と話をしていたときに、「作品を受け入れてくれる器としての街がないと成立しない。そして、街にはそれぞれの関わり方というのがあり、そこを大切にすればアートが街に関わっていく余地はあるはずだよね」と話した。アーティストはそこの部分を全くやってきていない。でも、それではすまなくなてきたのがここ何年かの流れだと思います。

岡部:現在、ミーツのメンバーは30人ほどで、会員は一万円の会費を払って、払うとどういう得点やメリットがあるのでしょう?

小石:ミーツのメンバーになれるのが得点。いろんなイベントを今は当初の3人だけではなくてみんなに分担してやってもらっています。いろんな人が増えていってその人たちの中で新しいコミュニティができるといいなと思っています。

岡部:つまり会費を払って実動もする。

小石:NPO法で言うところの、社員になるためのしばりが会費を1万円払うということです。金額はいくらにしてもいいのですけれども、会費収入というのはどんな会でもあります。

岡部:育成活動もやっているのですか?

小石:トヨタの主催のアートマネージメントのシンポジウムTAMをメインサポーターとしてミーツ主催でやったこともあります。すごく大勢参加者いて、びっくりしました。こんな小さい街で美術のコースで40人集まりました。採算とれましたし。

岡部:一応ある程度は採算がとれる事業が多いわけですね。

小石:赤字になったら、自分で被ることになっていますからね。街とのかかわりで言えば、ミーツが始まったときからですが、イギリスのバーミンガムで訪ねたことのあるスタジオを安く提供しているカスタード・ファクトリーみたいな活動を、エリアの中に閉じこめるのではなく、点在させることでエリア全体をカスタード・ファクトリーにするといった仕掛けづくりを行政とやっていて、企画担当者、都市計画家、経済局の人が、ミーツに来て月1回程度話し合いを行ってます。

岡部:ミーツからの働きかけで始まったプロジェクトですか?

小石:そうです。「NPOと考える岡山のまちづくり勉強会」というタイトルで行っています。行政と組むスタンスはずっと変えずにやっています。

岡部:ひとつの場所にある器にせずに、点在させるのはいい考えですね。

小石:自由工場で体験したある建物があってはじめて成立するということのリスクですよね。街を歩いて、結果的にこの通りは音楽系の人が集まる通りとか、芝居系の人が集まるコミュニティ、となるのは問題ない。でも最初からゾーニングして、ここに行くとアート情報に会えますよ、というのはつまらない。いつも映画ばかり見ている人とか、芝居ばかり見ている人だけではなく、今週は映画を見たので、来週はコンサートに行こうというのが普通の人の暮らしだと思うんです。その選択枝の中で美術があがってくるような街にこそ、底力がある。その方法だと時間がかかるとしても、街のポテンシャルは長い目で見るとでてくるように思います。

岡部:だとすると、街に点在するそれぞれが比較的小さいスケールのスペースが多くなり、普通の一般に用いられている場所の内装を変えるだけという可能性もあるわけですね。

小石:建築に関わっているメンバーがいるので、安くあがる改装の仕方を考えています。街を見渡すと、テナントは入れ変わっても、もともとの文脈を探ると案外おもしろい建物もある。たとえば、今は家具屋さんだけれども、もとは映画館、その前は芝居小屋だったり、内装さえ変えれば芝居が見られる。文脈を少し戻せば、その町が生き返る可能性もあるんです。

岡部:おもしろいですね。岡山は古い町ですから、歴史のつなぎ目がいろいろ出てくるのですね。

小石:日本の街はどこも古い町ですから。

岡部:それがとくに戦後、いっせいに均一化するような方向で、同じように変わってきてしまったわけですから。

小石:コンピューターと同じようにOSとハードを新しくしても、結局同じOSの上に同じハードをつくって、つまらなくなってしまう。みんなが同じであることは全く必要ないわけで、3、4年前のOSが気持ちのいい町だってある。そうした町の文脈を探ったりするのはアーティストは得意です。そこでなら入っていけるかなと思う。

岡部:企画とか調査を行い、具体化するときもいろいろなかたちで関わり、あとはそれぞれ実施主体の人に任せて、そうした活動を通して自分の街がよくなっていくのはうれしいことです。

06 サービス組織としてのNPO

岡部:小石原さんはミーツの活動で生活の維持が可能なのですか?

小石:生活したいと思っていますができていません。それが次の目標。3分の1も出来ていない。 3分の2は他に講師に行ったり、ワークショップをあちこちでしています。計画としては、3年後には3人のメンバーのうちのひとりが生活できるようになればいい。まだ常駐の人をおけないので、まず常勤のスタッフを置けるような状態をつくり、その次に3人のメンバーが報酬を受けられるようになればと思います。どこのNPOもそうだと思うのですが、事業的に考えるとマーケットやプログラムの開発もするし、クライアントの営業もしなければならないということで手さぐりの状況です。

岡部:そんなリスクがあってもやれるのは小石原さんがアーティストだからではないですか?

小石:そうかもしれない。アーティストがアートマネジメントをして、少しはご飯を食べられるというモデルケースをつくるのが僕自身のミッションです。街づくりということではやっていない。自分のアートプロジェクトとしてやっています。

岡部:そういう意味でNPOという枠組みはよかったのですね。

小石:NPOというツールはよかった。たとえば、油絵を描いている時の話で言えば新しく買った筆が自分にぴったりだった時はすごくうれしい。そんな感じです。大抵、アートを先に振りかざしているところばかりで、ミーツのようにアートと言う言葉を振りかざさずに、幅広くいろんなことを活動領域にしているところは少ないと思います。

岡部:やはり小石原さんと二人のメンバーが異なる分野の人で、そうした異分野の共同グループということもあるでしょう。

小石:そうですね。僕は意識的に異業種のグループをつくろうとしていたんです。アート関係の人は最初からあまり入れないようにしようというくらい。アートだけのグループだと、まずNPOにならなかったと思います。一年経って活動の幅を広げるときに一度定款も書きかえました。定款の変更申請をしたのもアートサポートNPOでは第1号じゃないかな。法人だから活動の内容が変わったら変更申請をしなければならない。県に届けるんですが、法人としての登記は法務局にする。法務局に登記してある内容を変更するときは申請をして登記をやり直すんです。

岡部:基本的に何が変わったんですか。

小石:街づくりと文化と最初は言っていたんだけども、他のNPOのサポートをしないと実際に街づくりもできないし、文化も浸透しない。他のNPOのサポートも必要なので、会計やデザインのワークショップの講座をするときに、今までの登記だとだめなんです。今の法律では、新たに他のNPOをサポートするということを事業目的に入れてくださいと、言われたんです。例えば、デザイナーのネットワークを使って、他のNPOのアウトプットを手伝うとか。NPO法上で行う決算は会社が行うものより面倒くさいんですが、他のNPOよりも立ち上げが早かったのでそのノウハウを先に持っているから、方法をオープンにして会計講座を開いたりしました。

岡部:定款に含まれていないことを手がけてしまうと問題が起きるんですね。

小石:合わないことを黙ってやっていたら、特定非営利活動法に違反します。定款の範囲の中でしか活動出来ない。だから「特定」なんです。

岡部:1年間やられて、反省したり、大変だけどNPOには可能性があると思われますか?

小石:今はきちっと形としてはまだ見えてこないけど、美術館の独立行政法人の流れなどは止まらないと思いますし、20、30年後には芸術文化活動のかなりの部分を、NPOが担っていくことになると思います。NPOを始めてから、数字で見る癖がついたのですが、各都道府県レベルの管轄部門でNPOにどれだけ権限と機会を移譲しているかで、今後、自治体の文化度に大きな開きが出てくると思いますね。市民レベルの活動を法人化して事業ベースでやっていくことでいろんなことが整理されていく。行政、民間のそれぞれの得意なことがあるので、そこからもこぼれる市民レベルでやるべき公的サポートの担い手としてNPOの活動を期待できます。

岡部:NPOは市民の声でもあるし、行政を動かすということもできますね。

小石:NPOもサービスを提供するひとつの組織だと思うんです。最終的にそのサービスを誰から買っているかの違いです。展覧会というサービスを、あらかじめ払った税金で成り立つ公立の美術館で見るのがいいのか、入場券とか新聞を買った売りあげを使う新聞社などの主催の企業展覧会のサービスを買うのがいいのか、寄付をしたNPOの展覧会を見るのがいいのか。その発想で考えればNPOが入っていける余地は充分にある。

岡部:これからのNPOの位置づけという観点でみて、今の国立美術館、博物館の独立法人化の流れは小石原さんにはどう見えますか?

小石:数字中心の議論の経緯は理解しかねるところはありますが、美術館の本質論を一度まな板の上にあげて、みんなでディスカッションしたうえで、財布を管理することは大事です。その上で、本当に抱えられない部分はNPOに任せるとか、もっと先の部分は民間に任せるとか、どうしても国としてやらなければいけない部分は補助金とかでまかなうとかで、整理をした上での役割分担をしなければいけない時期であることは間違いない。その結果、国立のままのほうがいいということもあるかもしれない。ひとつの機会ととらえて既存の団体利益とかではなくて、モデルケースをひとつつくることもいいかなと思います。

岡部:どうもありがとうございました。

(テープ起こし担当:白木栄世)


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