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NPO ミュージアム・シティ・プロジェクト/Museum City Project
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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

●山野真悟(ミュージアム・シティ・プロジェクト・ディレクター)x岡部あおみ
●川浪千鶴(福岡県立美術館学芸員)x岡部あおみ

山野真悟(ミュージアム・シティ・プロジェクト・ディレクター)x岡部あおみ

日時:2002年
場所:福岡市イムズ「天神芸術学校」の教室

01 ミュージアム・シティ・プロジェクトの今

岡部あおみ:1990年秋に天神の地域一帯のビルや路上などで現代アートを展開する第一回「ミュージアムシティ天神」を開催なさって、現在に続く実行委員会が発足し、翌年、蔡國強さんなどが参加した「中国前衛家美術展[非常口]」展が開催されたときに見に来ました。「MC天神」の催しは、92、94、96年まで続き、98年には地域を福岡に広げて、「MC福岡」となり2000年にも開催され、今回の「ミュージアム・シティ・プロジェクト2002」に継続するわけですね。空き地でPHスタジオのインスタレーションを見せていただきましたが、よくあんな大きな空き地がありましたね。

山野真悟:都市整備公団が所有する土地です。公団の若い人たちから、遊んでる空き地なので何かやりたいという申し出があり使わせてもらったものです。

岡部:場所があるので急にやることになったのですか?相当資金もかかってるんでしょうね、バスもありましたし。ファンドレージングもなさったのですね。

山野:都市整備公団の人達もいろいろ分かり始めてきたんでしょうね。予算面ではなかなか厳しくて、これがなかったら結構楽だったのですが。数百万円かかりますから。資金も集めます。この土地自体がこれからさらに1年間遊ぶ状態ができるので、建物を建てるまでは、例えば地域の人になんか使ってもらうとかをせざるを得ない。

岡部:公団としてはここで何をするかは、まだ決まってないのですね。

山野:大枠では決まってはいるんです。まだ早くても1年先くらいなんですが、商業施設や賃貸アパートを作って再開発にかけるまでの期間、公団としても更地にして放っておけないわけです。僕はPHスタジオの家を残したいのですが。本当はそんなに大急ぎで片付けなくてもいいと思いますよ。でも残すためには資金がさらにかかる。PHスタジオの家は置いてあるだけですから、まだ基礎もなにもしてない。

岡部:放っておいたら危ないですね、台風も来るし。

山野:台風がきたら危ないし、老朽化するからメンテもいる。

岡部:老朽化したら老朽化で、風化した雰囲気が悪くなければ、だめになるまでそのままおいて置くことができたらおもしろかもしれないですが。

山野:それは多分PHスタジオ的にも具合が悪いでしょ。アーティストとしては。こちらは別に片づける手間が省けたりするのだろうけど。

岡部:これまで12年間、街をミュージアムにする先駆的なプロジェクトを手がけてこられて、今はどのような考えや感想をおもちでしょうか。

山野真悟:最初の10年間は街の中で、美術イベントをやりますと約束をしていて、そこから多少外れそうになっても、ある程度は作品を作って置くことを続けたのです。口約束ですが、協賛をいただく以上は約束は守らなくてはいけないので。ただ次第に、企業などからの資金援助も難しくなってきたし、とくに流通関係は厳しくなりました。ものを置くだけでは解決しないことばかりが増えて、こちらの気持ちも難しくなった。1ヶ月間ものを置いて環境が変わっても、また元に戻るという繰り返しですから、もっと既存のシステム自体を変えたり、もう少し街のシステムに介入したいと思うようになったのですね。

岡部:久しぶりに「MCP」を回ったのですが、そのためか今回は作品数が少なかったですね。これまでの蓄積の中で方向転換なさったと思うんですが。

山野:2000年の「MC福岡」ですでに展示規模は小さかったです。今回はもう展示はやめてしまおうか、みたいなところにまで進んだ感じですね。既存のものを変えたい。今まではむしろ既存のものはそのままにしておいてその上にものを置いてきた。一時的なイベントは少なくして、常設のためのプロポーザルを紹介するような形にしたいのです。


PHスタジオ[住宅コロシアム(ミュージアム・シティ・プロジェクト2002)]
2002,福岡市

02 「街の真ん中」に「現代美術」の学校をつくる!

岡部:それで、ものから人づくりへですね。2002年の「MCP」では、現代美術を教える「芸術学校」形式が始まりましたが、以前、山野さんが手がけていた実技工房のようなところに伺ったこともありました。

山野:あれはIAF(アイエーエフ)といって、作家の江上計太が引き継いで、今でも続いてます。(注:2004年現在では、さらに若い人たちに引き継がれています。)

岡部:東京にある美学校にもかかわられていますし、学校はある意味で、山野さんの原点ですね。今回の受講生には女性が多かったようですが、運営には福岡市からの補助金が出ているのでしょうか。

山野:補助金も多少当てていますが、自由に受講できて受講料は一人1万円。講座の先生は今回は美学校に依頼して選考をまとめてもらいましたが、全部で50人ほどいますし、200万円ぐらいかかるので、受講料だけでは絶対に成り立たない。僕は1969年に創設された美学校の第一期生で、その時の知人が校長になったよしみで再建を手伝うことになったんです。

岡部:美学校には私も伺ったことがあります。何人くらい生徒がいるんですか。

山野:40人くらいかな。今は生徒じゃなくても受講できる講座もつくっています。原則1年間ですが、2年残ったりする生徒も多いですね。

岡部:美学校に来る学生は、大学卒業した人とか、実際はどういう生徒なのでしょう。

山野:両方ですね。大学生や院生みたいな人が来たり、昼間仕事している人が来たり。昼間のコースもあるんですけど、働いていても学校の日だけは休みもらうというパターンとか。「美学校」は実技重視の学校で、技術を教える。技術はこの辺の大学でもなんとかやれるから、僕の方はやっぱり頭の方を中心にしたいので、どちらかというとレクチャーが多い。

岡部:コンセプトや構想や発想という面ですね。コンセプト型の学校は、まだ市内にないんですね。

山野:まだないのです。まず街の真ん中にあることが重要。それからもう一つは、現代美術ということ。これはまだ福岡にないですから、当然市の補助金がないとやっていけない。今回「芸術学校」の参加者は60名弱、9割5分が女性です。20代の方が一番多く、年輩の方々は、美術館のボランティアの方ですね。

03 アートホテルで作家に印税を払う

岡部:「芸術学校」の開設も、福岡という地域に現代美術をより深く介入させたいというコンセプトからだと思いますが、これまで地域とアートを結ぶ活動をなさってきて、何が変化してきたと思われますか。

山野:現在では企業が自社の利益だけではなく、社会貢献、社会性を要求されているように、アーティストも、社会性を要求されています。アーティストが何かやりたいことがあって、その実現のためにスタッフやキュレーターが手伝うという従来のアートプロジェクトの形が、最近はそうではなくなってきた。アーティストやアートの概念が変わり、アーティストやアートそのものが何かの素材としてあって、それ以外の人たちがともに関われるほうが面白いように思います。作品が街中にいろいろ置いてあったところで、それがこの街の経済効果にすぐに繋がるわけでもない。でも人が街に来て楽しんで帰るみたいなところはあるので、住民にも、あった方がいいといった興味は出てきているし、アートで何かできるんじゃないかとか、使い道を一生懸命考えようという気持ちはある。アートの使い道だけではなく、僕の使い道なども。

岡部:今までなさってきて、結局、既存のものが変わったという実感がもてないわけですね。

山野:だから、変えるとしたら何か置いた場所のシステムまで変わるようなことがやりたい。今、手がけているホテルの部屋にアートを設置するプロジェクトがいい例だと思うんですけども、これを続けて、全部アーティストの作った部屋になったら普通のお客さん泊まりづらいですけどね(残念ながらこのホテルは2004年になくなってしまった)。

岡部:藤本由紀夫さんが部屋中に時計を設置して、チクタクという音に囲まれて寝る部屋を提案なさったのはとても面白いので、ぜひあそこに泊まってみたいです。全部の部屋にアートを入れるんですね。

山野:そうですね。できたら加速度的にどんどん増やして、5年くらいでなんとか全部の部屋に設置できないかなと思ってるんですけど。

岡部:面白いですね、アーティストに制作費を渡してまず作っていただいて、作品買い上げ料を分割するという方式ですね。

山野:制作費はこちらが負担して、あとはフィーです。つまりあのホテルがある限り、誰かが泊まったら、その回数で印税計算をして、永続的に著作権のような形で支払い続けます。

岡部:すごい!面白いですね。

山野:そうなんですけど、ただ、一回の額が大したことないから、何年分かを前払いしてます。今は、一人のアーティストにとって部屋一個しかないわけで、例えば10とか20とか、ホテルに限らずいろんなかたちで印税が回収できるようなものが町中にあったとしたら、それなりのお金にはなる。今、考えているのは飲食店に作品を置いたアーティストの支払いはそこの飲食で、つまり、お客さんがコーヒー一杯飲んだうちの何十円かがアーティストにいく、みたいなシステム。

岡部:作品の買い上げに比べて、いちいち計算するのは、意外に面倒くさいかもしれませんが。

山野:大変だと思う。

岡部:アーティストにとっては一回で売れてしまって終わりになるより、一生を通して、多少なりともお金が入るシステムだからいいかもしれないけれど。

山野:今は一回で売れるなんてめったにないですし。

岡部:高いですからね。

山野:そうなんですよ。でもあのホテルに50ものアーティストが入ってしまったら、逆にホテルじゃなくなって、ある時代を切り取った作品があの中にずぼっとある美術館みたいになる。タイムカプセルみたいにいずれ残さなくてはいけないことになる。

岡部:美術関係者ばかりが泊まるようになってもつまらないですね。

山野:そこまでくれば、はっきりした特長のあるホテルがここに一つあるってことですけども。

岡部:こうしたアートホテルの例は、海外とか国内など、他にはないですか。直島のアートサイトのホテルにもアートはあるけれど、違う位置付けですね。

山野:海外にはあります。最近川俣正がスイスでやっていました。ホテルがアーティストに部屋の改装をさせているようです。

04 川俣正の田川プロジェクト

岡部:川俣正さんが手がけている田川のプロジェクトですが、山野さんもかかわられていて、実行委員長はどなたですか。

山野:地元の元議員さんです。(2005年現在、県議員になられました)僕は立ち上げと立ち上げ以前はずっとやっていましたけれど、現地のスタッフの人たちが周りにいますから、今はある程度自立してやってますね。

岡部:川俣さんが中心になって資金を集めたりしたのですね。現地の人はみんなボランティアでしょうか。

山野:いや、ボランティアの人が関わったのは何年か前からで、当時学生さんだった人たちが、彼がいる間スタッフになり、それは有給でした。有給のスタッフも何人かいるわけです。だいたい福岡などに住んでいて、彼が行った時だけ集まり、それにプラス、ボランティアさんがいる。

岡部:これからも続けられるわけでしょうね。

山野:続けるでしょうね。ただ、あれはあれで大変ですよ。お金集めがすべて彼にかかってますから。

岡部:何かを建てるということを言ってますが、それが目的ではないような気もする。ただ単なる言い訳というか…

山野:口実ですよ。

岡部:それは口実で、一種のコミュニティをつくるのが本望ですよね。

山野:そうです。でもあれ、建たないと思ってるくらいでちょうどいいっていうか、建ってしまうと終わるわけですから。

岡部:だから建てないのかな。そういう意味では、かつての炭坑だったところも、今は何も無い場所になり、普通の街になってしまい、あまり人もいない。そういうところで行っているプロジェクトと、福岡のように人が大勢関わっていて、いわゆる中心的な商業地区で実施されているのとでは、対照的とも言えますね。

山野:そうですね。

05 地域との関わりとアートにできること

岡部:山野さんたちの努力で、イベントにまつわる人間のインフラは一応出来てきたわけですよね。キャナルシティにもかかわられてますね。

山野:あれは灯明ウォッチングというお祭りみたいなものがあり、それにうちが関わるようになって規模が大きくなったので、商業施設の方もそれに参加したいという話がだんだんでてきて、そうした商業施設でやるときのプロデュースをやってるという感じです。この2年くらいレギュラーでやっていて、観客動員につながるイベントなんです。目に見えて効果がある。

岡部:ミュージアム・シティ・プロジェクトとは別ですね。ご自身では「MCP」以外にどのような仕事を手がけてられているのですか(山野氏は2005年の横浜トリエンナーレのキュレーターを務める)。

山野:今一番多い仕事は市の関連で、ワークショップです。例えば、橋を架ける時などに、今は地域の人とワークッショップをしながらいろんなことを決めるというパターンが普通です。もともとコンサルタント会社の受注ですが、アーティストを入れたいという傾向が強くなり、行政からの注文もあります。

岡部:市民ワークショップで橋を作るという具体的な例を教えていただければ。

山野:最近やったのは親柱のデザイン。橋の名前が書いてある親柱を4つ作りますが、普通はみな同じ素材で同じかたちをしている。最初にこどもたちにどんな親柱がいいかを訊ねて、絵を描いてもらったり粘土で作ってもらう。そうすると、当然みな違うものを作る。そこで、動物に見えたり、人が歩いてるようにみえる4種類全部違うかたちの親柱を作ったんです。それは多分福岡市でも初めてで、全国でもあまり見られないでしょう。博多の次の駅にある竹下という地域の橋で、もう完成しました。

岡部:そういう仕事は、個人的に受けるのですか。

山野:いつも微妙なんですけど、一応肩書きはミュージアム・シティ・プロジェクトのディレクターみたいな感じで参加するんです。僕が選んだアーティストと一緒に仕事をすることもありますが、こういう仕事は時間がかかりますし、ワークショップ自体、社会的な認知度が低いので、まだ対価は安いです。もう一つやっている途中のがあります。1年くらいかかりますけど、僕個人が1年間やって何十万っていう額ですよね。最近のは北九州にある全長700Mの防波堤がだいぶ老朽化してるために、やり直すんですが、前がコンクリートのたたきの海岸で、そこに地域の人たちが使えるような施設を作りたいと。同じパターンですけど、今学校で授業をしていて、子どもたちとアーティストと一緒にアイデアを考えてもらって、最終的にはそれをまとめて市の方にこれでどうですかと提出するわけです。

岡部:そうすると、だいたい通るのですか。

山野: 100パーセント受け入れてくれるかどうかは難しいですが、子どもたちとか地域の意見が入っていることはどこかに残さないといけない。

岡部:市民や子供とのコラボレーションを一応やろうということで始まっているプロジェクトですよね。かつては建築家に頼んで終わり、ということが多かったと思いますが、21世紀になってからですか、そうした市民ワークショップが急速に増えたのは。

山野:そうですね。橋の名前を決める過程も地域の人たちの前で公開でやったり、公共施設を作るときのコンペにセットになっていたり、住民の意見を聞かねばという大前提があるんでしょうね。

岡部:市民の意見を聞いてプランを練れば、後々作ったものを大事にしてもらえると思っているのでしょうか。

山野:前は、橋の名前を決める時は役所でいくつか考えておいてその地域の有力者のところへ行って、こんなのでどうですかってそれだけで決まっていた。今は橋の名前を決める過程も地域の人に集まってもらい、それを公開で行う。いわゆる「まちづくり」とかを言い出しているからではないですか。まちづくり協議会みたいのができてきて。

岡部:では今後、そうした仕事が多くなる可能性がありますね。

山野:ええ、多分。だからどのアーティストだったらこの仕事に向いているかを選別する役割はあります。

06 ワークショップとアーティストのコーディネート

岡部:ご自分でもっともなさりたいことが学校なのですか。

山野:学校は確かにやりたかったものの一つですから、やってゆきたい。個人的なことでいうと、本を作りたい。一応、MCPの10周年の本はデザイナーさんのところで編集をしてもらってるんです。結構、僕は若い時現場の人間ではなく、理論的な人間だったので、書いたものがすでにあり、最近は全然書いていないんですけど、昔書いたもので多少意味があるものを何とかしておきたい。実際にやろうと思ったことと違うことを今、やってるんですよ。

岡部:ギャップがあります?

山野:そう。どうしても周りとの調整があったり、ほかの人の意見が入った上でやったり。実際にやったことが説明不足なままでずっと残ってるという気持ちがあるんですね。

岡部:制作もなさっていたのでしょう? こちらのほうはどうなさるのですか。

山野:制作はね、受容があればやるけど、多分ないでしょう。ほんとは人形劇つくりたいな。

岡部:MCPの事務局長を長年なさっている宮本初音さんもアーティストだったそうですね。

山野:そうですよ。若い時はパフォーマンスをやったりしてました。

岡部:ミュージアム・シティ・プロジェクトは今後も続けられるんですか。

山野:最近みたいなかたちでよければ続けようかなと。ほんとは宮本と2人だけで出来る範囲のことをやろうと思っていたんです。

07 アーティスト優先志向は変わる

岡部:先ほど、アーティストのありかたも変わってきたと話されていましたが、山野さんがこれまでやってこられたり、いろいろ見て歩いたりなさっていて、現代アートに対してはどうですか?

山野:アーティストと言った方がいいのかもしれませんけど、社会性を要求されてると思います。企業が社会貢献や社会性を要求されてるのと同じことで、こういうアートプロジェクトをやる時、どうしてもアーティストが中心みたいな意識が元々あり、アーティストが何かやりたいことがあって、それを実現するために周りにスタッフがついたり、キュレーターがついたりとかという意識だったのですが、どうもだんだんそうじゃないと思い始めた。アーティストとかアートそのものがなんかの素材であって、それ以外の人たちがアーティストとともに関われる方が面白い。アーティストとかアートの概念がもっと変わるんじゃないかとということです。

岡部:たしかに変わってきましたね。

山野:やっぱりアーティスト優先の考え方がまだ残ってると思う。アーティストが気持ちよく働くために条件を整えるとか。

岡部:みんなが協力してアーティストの為に働くみたいなね。

山野:そうです。でもそういう関係じゃなくなるんじゃないかな。

岡部:今、山野さんが考えているようなコンセプトを、どういう作家だったら実現していますか?

山野:僕最近つくづく思いました、いないんだなー。

岡部:山野さんの考えに近いのは、例えばウィーンを拠点にしているヴォッヘンクラウズールたちなどですか。宮本初音さんと一緒に私は彼らに会ったことがありますが、彼女がヴォッヘンたちを福岡に1度招聘したことがありましたね。

山野:ヴォッヘンたちの考えは近いですね。要するに自己中心的ではなく、また非抑圧的であること、だと思います。あとはあまりいないんですが、川俣正も大物のわりに自己中心性は少ないですね。


ヴォッヘンクラウズール:アートによる提案と実践
1999,福岡市

08 山野流アーティスト論

山野:社会性から迫って、むしろ嶋田美子さんのようなタイプのほうが、こういうプロジェクトに向いているのかなという気がします。前はうちのプロジェクトには彼女は無理だと思っていたんですよ。政治的なメッセージがあったりする過激性を持ってるとなかなかね。

岡部:私は嶋田さんは前からいいと思っています。彼女は常にある迷いや痛み、生活感とか主婦といった現実から始めて、そういう意味では自然ですし、やや堅さもあるけど、でもだんだん経験が深まってきて考え方も柔軟になっている。

山野:わりと弁証法的なひとでしょう。だから自分を相対化出来る感じがする。

岡部:今回のレクチャーの印象もそうでしたか? どうしてそう思われたのですか、どういうきっかけで?

山野:なんか、しょうもない話、飲み会とかしてての語り口とかです。レクチャーは前に別の場所で聞いたことあるんですけど。多分こういう苦労も知っている。意外とそういうタイプなのかなって。

岡部:逆に言うと、いわゆる市場主義の中で、自分自身のやり方を展開している人も、ある意味で社会的ですけども。

山野:そうですね。駒形克哉さんと初めてお会いしたんですけど、変なものを持ってきて、ブロンズで作った刀も持ってきてました。東京の人で、江戸っ子。面白かったんですよ。小倉正史さんの友達で、イタリアにずっといたらしく、全然知らなかったんですが。

岡部:だんだん面白い人が出てきているんですね。おもしろい日本の作家は世界のあちらこちらにいるかもしれない。

山野:そうですね。川俣正とか、森村泰昌の作品には大作品主義があって、それがだんだん無くなってきて、要するに小沢剛みたいになり、小沢剛が出てきた。川俣正が進化したらどういう風になっていくんだろうと思って島袋道浩を見てたんです。小沢剛が進化したら島袋みたいになるんだと思ったら、意外だったのは、島袋にはやや作家主義的な面が残っている。

岡部:彼の考え方と作品は割と一致しているところがあります。ただ現実において自分自身が存在するための戦略はあると思います。私にはそれは特別気にならないし別だと思うんです。ただある意味ではアメリカで勉強してきていますから、自己プレゼンの仕方みたいなところは訓練されているのかもしれない。

山野:そうそう、上手いし。でもなんか一致してない。俺はアーティストだよみたいな意識がある人だったら、今までいっぱい見てきたんですよ。

岡部:小沢剛さんは違いましたか?

山野:小沢くんは微妙ですね。

岡部:でももし、アーティストという意識がすっかり抜けているとどうでしょう。実際に存在しえますかしら?

山野:そうですね。見えなくなる…だから今のアートなんでしょう、アーティストの話ですね。例えばアートスペースのディレクターをやっているときには、とにかく他のアーティストの話ばっかりしていても、今度、自分がアーティストとして作る立場になると、他のアーティストに興味を失ったり。

岡部:ほとんどのアーティストがそうなりませんか?

山野:なります。これ不思議なんです。でも、自分のことにしか興味のない人が、他の人を面白いと思わせるには相当の力がないと無理でしょう。しかもそういうアーティストが要するに、地域の人たちとコラボレーションであるとかワークショップをやるわけでしょ?疑問を感じることもある。

岡部:そういうことは、山野さんのように、アーティストと直にたくさん仕事をしている人にしかわからないのではないですか。

山野:だから違うタイプのアーティストが出てくればいいなという願望はありますね。そうしてアートの役割が違っていくという期待が。

岡部:社会もそれを求めているかもしれないですし。

山野:そうだと思うんです。社会のアートに対する要求が、きっとあるはずなんです。でも今はアーティストがそれに対応できないから、僕みたいなクッションが間に挟まって調整をしてるんだよね。自分のことにしか興味がないアーティストを地域に連れていったりして。

岡部:今度は山野さんご自身がなさればいいじゃないですか?

山野:アーティストをですか?僕がですか?今でもヴォッヘンクラブズール的にいうと、やってることになるんでしょうけど。

(テープ起こし:夏目乃理子 編集協力:越村直子)


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