Cultre Power
NPO ASIAS/エイジアス
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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

堤康彦(特定非営利活動法人 芸術家と子どもたち代表)×岡部あおみ、佐藤美保

日時 2004年5月18日
場所 芸術家と子どもたち事務局(旧千川小学校内)

01 廃校を活動拠点に

岡部あおみ:ASIASは、ここの旧千川小学校のスペースを使って活動をなさっているんですか?

堤康彦:ええ、廃校を活用して色々やっていきたいと思い、2002年からここを活動拠点にしています。小学校の正課の授業内でアーティストと子どもたちが出会う活動であるエイジアス(ASIAS=Artist’s Studio In A School)とは別に、ここの地域の子どもたちと何かできないかな、ということで。その年の夏には、ダンスと美術のワ−クショップをやったりしました。美術のほうは、住中浩史さんと水内貴英さんという若い2人の作家さんにお願いして、丁度、地元の盆踊りがあったので、子どもたちが布や発泡スチロールなどで「オモシロ衣装」を作りそれを着て、夜、盆踊りに参加しよう!というワ−クショップでした。そのワークショップをやった場所は「千川こどもくらぶ」という元職員室の部屋です。「千川こどもくらぶ」というのは、うちがやってるんではなくて、ここの地域のお母さん方が中心になって、児童館ではないんですが、毎日子どもたちが集まれて、大人が一人常駐するという場所です。まさに地域のボランティア活動で、一生懸命やっていらっしゃいます。

岡部:その美術やダンスのワークショップは、ANJ(「NP0法人アートネットワーク・ジャパン」。東京国際芸術祭なども手掛ける大型NPO)(注1)とご一緒になさっているのですか?

堤:それは、僕の方でやっていました。また、2003年の春休みには、マイムパフォーマンスグループの「水と油」と一緒に、学芸会とは違う、子どもが主役の舞台をア−ティストと創って体育館で公演をやりました。この時は、2月の土日と、1週間ちょっと春休みを使ってワ−クショップをやり、春休みの最後に実際の公演、という内容。子どもは公募したんですが、ここの地域の子どもが半分、4、5人くらいいた。これが、結果的にシリーズ化されることになります。舞台作品のタイトルは「胡桃の中」というのですが、このあとすぐ、5月にアサヒア−トフェスティバルのプログラムの1つとして再演されました。浅草のスクエアAで公演はやったのですが、子どもたちのメンバーは同じ顔ぶれで、その時もワ−クショップは千川小の体育館で行いました。で、この公演を観た、NECのメセナ担当の方が一緒にやりましょう、という話になりまして。「NEC×ASIAS 子どもとつくる舞台シリーズ」という企画を立ち上げることになります。2003年の夏休みには、コンテンポラリーダンスの振付家、山下残さんと一緒に子どもたちがダンス作品「おもいで」を創り、公演しました。それで、2004年の春もまた山下残さんにお願いして、「ソロとデュオ」という別の作品を創り、三田にある戸板ホールというところで発表しました。ワ−クショップは、こちらの体育館でやったり、教室を使って山下さんと子どもの、1対1のワ−クショップをやったり…。このときのワークショップは、9人ぐらいでしたが、延々と1ヶ月半くらいやりました。

岡部:少人数で、贅沢ですね。

堤:ア−ティストにもよるのですが、山下残さんの時は、(子どもの人数は)少ないほうが良いという希望でした。また、こういった、舞台作品づくりをシリーズ化するという活動と共に、2003年の夏休みには、「ア−ト夏まつり@旧千川小学校」ということをやりまして。うちは、「おもいで」の公演をやったくらいですが、ほかにANJと、チャイムという多摩美の卒業生が中心のグループ、計3団体が協力して開催しました。チャイムは、映画の上映とか美術展、ミニコンサートなどをやって、ANJは、舞台芸術系のワ−クショップとか、ミニパフォ−マンスをやりました。校舎、校庭、体育館全てを使って、3日間。700人程度の人が観にきてくれました。

岡部:ずいぶん多くの方々が来てくださって、良かったですね。


振付家・白井剛の授業
© AISIAS

02“芸術家と子どもたち”の新拠点

岡部:今度、拠点を移す旧朝日中学校では、チャイムのメンバーも一緒に活動するのですか?

堤:いえ、チャイムは難しいんじゃないでしょうか。中心になっていたメンバ−が、この4月に助手として大学のほうに戻ってしまったり、他にも面白いメンバ−がいたけれど、みんなそれぞれ自分の活動があるし。でも、チャイムは、逆に旧千川小のほうでやりたいんだと思うんですよね。地域の人との関係もあるから。

岡部:では、旧千川小で学校開放という枠組みにおいて活動を続けてゆくつもりなのでしょうか。

堤:僕も、旧朝日中に移ったあと、旧千川小はどうするかということがあるんです。連携しながら旧千川小でも活動をしたいとは思っていますが、でも、ちょっと余裕がないかもという感じもしているし。こちらの旧千川小学校利用者協議会(地域住民の組織)の方々には、会長の方はじめ随分お世話になりました。場所的にも雰囲気は、こっちの方が良いかもしれませんね。周りが住宅地で、廃校にはなったんだけれども、自然と子どもたちが集まって遊んでいたり。住民の方々がアクセスしやすい、入りやすい場所であるということで。

岡部: 旧朝日中のほうは、逆にアクセスしにくいという地理的問題があるのですか?

堤:国道に面していて、駅には近いんですけど、まだ、よく分からないですね。リサ−チをしてみないと。多分、推測するに高齢者の方々と新しい住民の人たちとの間でコミュニティが分断しているんじゃないかと思います。

岡部:そういう住民構成だと、活動の対象は、子どもたちだけではなく高齢者も入ることになりますね。

堤:お年寄りと子どもは、僕は、相性が良いと思っています。子どもの為になにかやることによって、高齢者の方にも出てきて欲しい。そして、子どもの親たちにも出てきてもらって、その3世代が上手く対話できるようなワ−クショップが出来るといいなと。旧千川小でやっていたような夏まつりも間に合うか分からないけれども、今年もまた出来るといいと思っています。


作曲家・野村誠の授業
© AISIAS

03 廃校の背景に潜む住民の思い

岡部:この旧千川小の周辺の住民構成は、バランスがとれているわけですね。

堤:そうじゃないでしょうか。特に、利用者協議会のメンバ−の方々のなかには、古くからここに住んでらっしゃる人が多くて、非常に愛着があるんですね。とりわけ学校に対して。本当に、ボランティアで、自ら草取りとか掃除をやってくれる近所の方がいる。

岡部:小学校の建物が廃校になっても、そのままキープされるケースがあるのは、そういった住民たちの愛着のせいだと思われますか?

堤:どうでしょうか。確かに役所は住民の声には敏感ですからね。こんど、時習小学校というところが売りに出されるんです。池袋の駅から歩いて10分かからないようなところで、良い場所すぎるんですね。高く売れるでしょうけど。全部売却しちゃうんですよ。

岡部:それは珍しいケースではないでしょうか。

堤:時習小も一度行って見ましたけど、地域との関係は薄そうにみえました。豊島区はいま「区民ひろば構想」を推進しようとしています。先日、現役の学校ですが、旧朝日中の近くにある朝日小学校で、その構想について住民説明会があったので行ってきました。住民の方たちが、子どもたちが暮らせる町にしたいという思いを役所に一生懸命訴えていました。廃校になる前の段階で、住民はまず愛着がある。廃校になってからもここの小学校のように盛り上げていこうよ、という思いがある。だから、廃校になってからも、ここで盆踊りやお化け屋敷をやるととても盛り上がる。そうそう、お化け屋敷は、廃校になった一昨年はじめて企画して、一晩で200人ぐらいの参加者があった。なにしろ待ち時間が30分とか1時間になっちゃって。その年は、多摩美の学生がメインで運営していました。2回目の昨年は、住民の人たちが自発的にやっていました。参加費は無料です。昨年のお化け屋敷は私もお手伝いしましたが、500人以上の人が集まったと聞いています。

岡部:「廃校でのお化け屋敷」というのは、あまりにもぴったりで、面白いですね。他ではやっていないのでしょうか?

堤:お化け屋敷自体は、各地域で結構やられているんではないでしょうか。豊島区でも、旧日の出小学校など、他の廃校でもやっている。破れた提灯とかお墓とか、お化け屋敷グッズを持ち回りで活用していますよ。夜の学校。それだけで怖いじゃないですか。

04 メイン事業のエイジアス、ワークショップ型授業

岡部:お化け屋敷とか、さまざまな地域活動を廃校を拠点になさっているわけですが、比較的若い作家を学校の授業のワークショップなどに送り出すのが、ASIASのメインの活動目的ですよね。

堤:うちの団体としては、あくまで、メインの事業は、2000年に始めたASIASと呼んでいる学校の授業です。ただ、特定の施設や場所を持たずに、ジプシ−のようにいろいろな学校をさすらってました。私は、以前、新宿のパ−クタワ−ホ−ルの運営をしていて、そのときは、まず場所が先にありきだった。その反動からか、かえって場所を持っていると面白くないということもあってASIASというプロジェクトを考えたのです。でも、最近、やっぱり拠点がほしくなった。僕としては、ASIASとこの廃校プロジェクトが両輪のように上手く回っていけばいいなと考えています。

佐藤美保:ASIASの行っている事業内容と似たようなものが最近、文化庁でも行われていますが、文化庁との関係性などはいかがでしょうか?

堤:文化庁の助成制度にASIASを当てはめるのは、いまはちょっと難しいですね。上からの押し付けで、なにかと、ル−ルを決めてパッケ−ジ化しようとするやり方と、うちみたいに話し合いながら、子どもたちを中心にしようとしてやるのと、違うじゃないですか。申請を出すタイミングにしても難しかったりする。うちの場合、ア−ティストと担当の先生との話がまとまったら、すぐ授業を実施する。フレキシブルな活動です。その時に、文化庁と一緒に何かやろうとすると難しい。うちとしても、なんらかの形で行政と一緒にやっていきたいとは考えているんですけど。

05 NPOとしての“芸術家と子どもたち”

佐藤:NPOとして活動するメリットなどはありますか?

堤:いまはNPOという言葉が一人歩きしている気がします。企業は、先ほどのNECのように、NPOと協働で何かやりたいと思っているところが多いです。それから自治体、ここの豊島区などもそうかもしれない。自治体もNPOと何か連携しなきゃいけないというのが意識としてある。

佐藤:それは、NPOだからですか?

堤:漠としたものだと思いますよ。自治体が住民サービスの全てをやるのは無理が出てきているとか。NPOに頼んだほうが安く上がるんじゃないかとかも、あるんじゃないかと思います。受けるNPO側としては、よく考えなきゃいけないところだとは思うんですけど。

06 サラリ−マンからオ−ガナイザ−へ

岡部:堤さんはもとア−ティストだったけれど、新宿のパ−クタワ−ホ−ルでは、プロデュ−サ−をなさっていたということなのですか?

堤:いえ、ア−ティストではないです。マネ−ジャ−やプロデュ−サ−でもなかった。普通にサラリーマンになって、たまたま会社の中で「新宿パークタワー」という、ビルを建てるプロジェクトチームに入って、ホールやギャラリーを運営する仕事をやり始めた。ア−トのことは好きだったので、そこで、面白いことやりたいなと思いまして。

岡部: 「新宿パークタワー」は、どこの会社の施設だったのですか?

堤:東京ガスです。その超高層ビルの所有者、施主ですね。僕がそのプロジェクトチームに異動になったとき、いろいろ近隣との関係もあったのだと思いますが、ビルの施設計画にホールやギャラリ−が設置されることになっていた。でも、図面上書いてあっただけで、特別なヴィジョンはなかった。で、「パークタワー・アートプログラム」という事業を立ち上げました。

岡部:東京ガスのプロジェクトをサラリーマンとして手がけられていた立場から、フリーでご自分のやりたいことに向かうのは、相当な決心ではなかったのでしょうか。

堤:でも、東京ガスに10年も居たので、そのさき会社でずっとやっていけば、自分がだいたいどうなるのか分かり、辞めるんならこのタイミング、というのがありましたね。

岡部:タイミング以外に、何か辞めるきっかけがあったのでしょうか。たとえばANJとの出会いとか?

堤:いや。その時に美術館の教育普及担当の方々にも随分いろいろ話を聞かせてもらいました。僕の中に、子どもなのか、ア−トなのか、迷っている部分があったから。最初は、「アーツフォーラム・ジャパン」というNPOがあり、97年にはそこで少し事務局の仕事をやっていました。

岡部:会社をお辞めになったのが97年ですから、辞められてすぐにNPOの仕事に移られたわけですね。

堤:ええ、実はそのNPOを財団法人にしようとする動きがあり、基本財産は大体集まっていたのだけども、設立するのはなかなか難しい時期で、しかもランニングコストを負担してくれていた中小企業のスポンサーが経営的に厳しくなってしまったんですね。それでその事務局は解散してしまった。そのあと、大月ヒロ子さんに声をかけていただいて、99年の6月にオープンした「ビッグバン」(大阪府立大型児童館)の事業企画面の手伝いをオープンの前後半年ほどしていて、99年の9月か10月に東京に戻り、ASIASをたちあげたのです。

07 ASIASを取り巻く人々

岡部:ASIASの立ち上げ時に、堤さんご自身が、学校の授業ができるようなア−ティストたちをすでにご存知だったということですね。

堤:ある程度、パークタワーの頃などのネットワークがありました。

岡部: ASIASにかかわられている熊倉敬聡さんとも、以前からのお知り合いなのですか?

堤:なんとなく、知ってはいました。アーツフォーラム・ジャパンの頃、作曲家の野村誠さんを老人ホームに送りこむときは、奥様の熊倉純子さんにコ−ディネ−ションして頂いてお世話になったので。

岡部: 熊倉純子さんが企業メセナ協議会で仕事をなさっていらしたせいですね。

堤:そうですね。でもあくまで、個人として、いろいろネットワークをもってらっしゃったので、僕のほうでその頃アウトリ−チに興味があったから、一緒にやりませんかと声をかけてお願いしたりもしました。ASIASを法人化する時に、熊倉敬聡さんにご相談して理事になって頂きました。“芸術家と子どもたち”は、2ヶ月に1回くらい理事会を開き、アドバイスをして頂いています。2001年の夏に法人化したんですけど、99年の秋から法人化するまでは、ほとんど一人でやっていましたから、外の人にさまざまなアドバイス頂くのは、本当に有難いです。


堤さんのポートレイト
Photo Aomi Okabe

08ア−ティストの選定方針

岡部:これまで多くのア−ティストの方々とご一緒に仕事なさってきたわけですが、まず最初にASIASと授業をやることを決定するのは、先生や校長先生、あるいは学校の方針などですね。その受け入れ側の意思や目的などで、授業が上手くいったり、いかなかったりすることもあるかとは思いますが、これまでの活動を客観的に見てこられた堤さんとしては、実際にア−ティストが加わって授業をやった場合、こうしたア−ティストだったら子どもとの関わりがうまくいくとか、あるいは、こういう資質が大事だとか、ご意見はありますか?

堤:明確なア−ティストの選定基準があるわけではないですね。このア−ティストと子どもたちを出会わせたら面白そうだなという程度の、あくまで主観的なことです。日々の創作活動で新しいアートを創り出そうとしているア−ティスト、ということが第一条件。自分よりも前に、芸団協(「社団法人日本芸能実演家団体協議会」)(注2)も伝統芸能実演家を学校へ派遣することをやっています。それは、良いことだと思う。でも、ASIASで僕らがやろうとしていることは、単に芸術に親しんでもらおうというのではない。違う価値観を子どもが身体で理解するようなワ−クショップをやっていきたいと思っている。だから、そのア−ティスト自身も何か新しいことをやろうとしている人が一番の条件なんです。ただ、他人との関係を持たず、個人ワークのほうが絶対好きという人は駄目ですね。創作姿勢としてはありでしょうけれども。

岡部:日本にASIASが求めているようなア−ティストは、随分居ると思われますか。

堤:うーん、居ると言えば居る。でも、面白い授業をする人は、限られているという気もします。ASIASの授業に協力していただいたアーティストの中にも、自分の持っているものを提示するところで留まる人も居るわけです。僕は出来れば、子どもたちと関わって何かを創ってほしい。ア−ティストも何らかの影響を受けて欲しい。先生とも関わって欲しい。でも、子どもたちに何かを伝えたい、という段階で終わってしまうア−ティストも居ますね。当然、先生との関わりも発生してきますから、ア−ティストにとって、普段ないような状況の中で、学校の先生と上手いキャッチボールが出来ると面白い授業になるんですが。

09 多種多様な授業内容

堤:野村誠さんなんかは、子どもたちのためではなく自分のためにやるタイプの人です。野村さんは音を中心にしてますが、美術の人ですと、宮島達男さんに2回くらいやってもらいました。彼の場合は、自分の作品の中に子どもを取り込むという感じで、子どもにとって、とても貴重な体験だったと思います。だけど、それは既にある、彼の作品の中なのですね。一方で、岩井成昭さんにも何回か参加してもらっていて、その中の1つでは、「自己紹介」をテ−マに、15人の小学3年生を相手に8日間授業をやってもらいました。子どもたちが自分たちでお互い延々自己紹介を繰り返す。自分を見つめ直して。

岡部:皆の前で話し続けるという経験がまだ少ない時期の子供たちですね。

堤:彼の場合は、この授業のために組み立ててくれたわけです。彼は「デメ−テル」展にも参加していましたが、主に滞在型で、その地域の人にインタヴュ−しながら作品を創ったりするんですね。デメ−テルでは、アイヌにまつわるプロジェクトだったそうで、地元の人たちとの交流を通して、最終的には、音と光のインスタレーションを創ったそうです。そのほか、オ−ストラリアの片田舎にも滞在して3ヶ月くらいやっていたりとか、オランダにも住んでいたんですね。海外で作品創っているケ−スが多いです。オーストラリアの時は、そこのアボリジニと、高所得者層である農業経営者と、それとブル−ワ−カ−、その3つの階層の人にインタヴュ−をしながら関係性を浮き彫りにしていった。そのプロジェクトの1つで、その村の写真を岩井さんが撮って絵葉書にして他の国々の人々に送り、この村をどう思うかを書いて送り返してもらう。そういう形で、町に還元させようという活動をなさっています。

岡部:札幌で開催された「デメ−テル」展、見ました。岩井さんの作品は、真っ暗な闇のなかに、声と光が舞うような空間で、面白かったです。

堤:ただ、美術の分野の人で、一般の人とかかわり、その環境に入って作品制作をする岩井成昭さんのようなア−ティストは、すべて一から調査したりしてなさるわけだから、時間もかかるし大変ですよね。岩井さんとは、旧朝日中でも地域の人たちと何かをやってもらおうと試みているんです。何をやるかはまだ決まっていませんが。岩井さんはP3(注3)の芹沢さんと過去にも何回かやっていたと思います。

岡部:楽しみですね。

10 民間企業のバックアップ

佐藤:アサヒビ−ルが随分と活動をバックアップしてくれているようですね。

堤:ええ、ASIASをはじめた当初からです。日産自動車さんもそうですね。99年か2000年、一番初めに、アサヒビールの加藤さんや河村さんが、面白いといってASIASにお金を出してくれることになり、ずいぶんお世話なりましたが、河村さんは、今は異動でメセナセクションではなくなっていますが、法人化のときから、うちの理事になっていただき、今でも団体のためにとても良くしてくださっています。

岡部:どこぐらいの資金を協賛していただいているのでしょうか?

堤:今は企業はどこでも厳しいですから、それぞれの額としては多くないですが、まず最初に出してくれるところがあって、動けるようになったわけですから、有難いことです。しかもアサヒビ−ルさんは、2年目、3年目、4年目と協賛額を増やしてくれてます。

岡部:活動を評価してくれているということですね。

堤:2004年度、ASIASの協賛企業は、アサヒビールと日産自動車のほか、NEC、松下電器産業、それとトヨタ自動車です。そのうち、ASIASと別事業として、それぞれの企業とパ−トナ−シップを組んでいます。NECとは先程言った「子どもとつくる舞台シリーズ」をやっていますし、アサヒビールとは、いまのメセナ担当の根本さんと今度、旧朝日中で何かやろうと話していて、トヨタ自動車とは、ASIASのような活動を全国各地で担ってくれるようなNPOをインキュベーションするための「トヨタ・子どもとアーティストの出会い」という企画をシリーズ化して、2003年にはじめて京都でやりました。企業とは、そういう意味で面白い、良い関係を創りつつあります。

11 授業日数と活動資金

岡部:良い関係を結ばれているこれらの企業の協力だけで、アーティストへの支払い、運営費などを含めて、ASIASの事業は成立しているのでしょうか?

堤:そうではないですね。財団の助成金も頂いたりするんですけど、ただ、助成金は毎年続けていただくのはなかなか難しいです。2003年度は、幸いトヨタ財団が出してくださったけれど、2004年度は、あまり助成金は出てませんね。でも、事務局員は増やしたいと考えてますので、結局、本当に自転車操業になってしまいます。特に、ASIASの場合は、学校側からほとんど収入が見込めないですから。

岡部:多少負担して出してくれるところもあるのですか?

堤:ちょっとは出してくれるようになり始めました。2004年からは、学校の資金的な拠出をこちらからも働きかけていこうかなと考えています。2003年度くらいからですが、学校の先生が事務局にアクセスしてくるのを待っていると、大体うちが考えている1年間の実施校数くらいになり、ややオ−バ−するぐらいにもなり、2003年度では、授業日数でのべ120日くらいはやっているんですよ。

岡部:学校側からそれだけアクセスがあるということは、先方から評価されていることになるわけですけれど、のべ120日とはすごい量で大変ですね。

堤:やはり事務局としても厳しいです。

岡部:堤さんご自身の生活費もASIASの活動でまかなえるのですか?

堤:それは無理ですね。だから、単発ですが、他の仕事もしています。でも最近、ASIASのほうが忙しくなって来てしまったので、それも受けていられない感じになっていますが。

12 NPOにとって本当に必要なもの

堤:NPOで事業する為のお金は、ある程度ファンドレイズ出来ると思うんですが、事務局経費がかかることをなかなか分かってもらえない。企業は割と理解してくれるんですけども。

岡部:なるほどね。そこが難しいところですよね。最近やっと、企業の協賛や財団の助成金などでも、管理費や事務局経費が出せるようになりつつありますけれども。

堤:そうですね。以前、松下電器さんのやっていた「子どもサポ−タ−ズ・マッチング基金」なんかは、NPOのベ−スの部分、基盤整備に対して出してくれるような非常に珍しいものだったのですが。3年限定で、そのうちの1回を頂いたことがありました。

岡部:運営費の協賛や助成が少ない状況で、どうやってみなさんNPOを維持なさっているのでしょうね。

堤:ANJみたいに、フェスティバルという活動によって、文化庁からの助成が増えているところはありますが、結局、そうしたフェスティバルとかの国際的な活動はファンドレイズしやすく良いけど、うちみたいな地域限定の地道な活動は非常に厳しいということなのですね。

13 教育現場の改善に向けて

岡部:ただこうした活動は大事ですし、地味でも影響力があります。それで今、文化庁などでも学校へのア−ティストの派遣事業みたいなことを手がけようとしているわけだから。ただもう少し、現場で活動している人たちのことも考えてもらえるといいですよね。

堤:本当に、僕たちの意図しているような状況が学校現場に入ってくるようになれば、うちみたいな団体は必要ないと思うんですよ。例えば、教頭先生と同じ位の権限で外部コーディネーターが各学校にいるとか。そういったものを招き入れる体制が学校側に出てくれば、このNPOはなくてもよくなるかもしれない。確か、杉並で村上タカシさんがIZUMIWAKU(注4)をやったときもそういう構想があったんじゃないですか?学校の中にコーディネーターを置いたらどうかみたいな。特に東京の場合は、23区、市区と都の教育委員会が独自に動いている側面もあって難しいんです。

(テープ起こし担当:佐藤美保)

(注1)ANJ : 廃校プロジェクトも行っており、ASIASと共に都内の廃校を拠点とした活動をしている。2004年には、一緒に旧朝日中学校に拠点を移す予定。
(注2)芸団協 :1965年に設立され、芸能に関する調査研究や、著作隣接権に関する諸業務、助成・顕彰事業、出版事業などを行っている。俳優、音楽家、舞踏家など60団体、約5万8千人の芸能実演家によって構成されている。
(注3)P3 :「P3 art and environment」1989年開設。場所や形態を特定しないアートプロジェクトを展開している組織。
(注4)IZUMIWAKU:「IZUMIWAKU project」。アーティスト村上タカシ氏を中心に、現役の公立中学校校舎を一定期間「美術館」として作品の展示、作品づくりを行ったプロジェクト。


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