武蔵野美術大学 芸術文化学科

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荒井隆大 西野みなみ 吉川久美子
デザイン史における「浅井忠の図案」の位置/荒井隆大
 第一章  工部美術学校入学から渡仏まで(1876―1900)の約25年間は、浅井が美術作家としての自己を形成し、発展させていった期間であるといえる。工部美術学校でフォンタネージに洋画を学んだのち、同校を退校し同志と十一会を結成。その後も自身の製作と並行して、明治美術会の結成(1889)や第4回内国勧業博覧会の審査官(1895)など、洋画の擁護・振興にも力を注いだ。  1889(明治22)年に『写真新報』誌に発表された「写真の位置」および、1891(明治24)年の明治美術会月次会における議題「裸体ノ絵画彫刻ハ本邦の風俗二害アリヤ否ヤ」についての発言は、この時期の浅井の美術観を表す重要な資料である。これらの資料からは、浅井が「調和」を重視し、なおかつ対象との交感を重視していたことが分かり、浅井がいち早く狭義の写実主義から脱却した作家であることを証明する証拠となっている。こうした理念は後年の図案制作においても見受けられ、浅井の作品を理解するうえで非常に重要であるといえる。  また、この時期の浅井は普通教育用の図画教科書を多く執筆しており、教育者・啓蒙家としての浅井忠という側面がよく表れている。教科書の執筆は晩年まで続き、京都移住後は図案を普通教育においても応用しようとする等、自身の活動と密接に関係したことが分かる。 …続きを読む
記憶の反プロセス-現代アートによる記憶の表象/西野みなみ
 「中高生世代と美術と触れ合う場は何故少ないのだろうか」 本論は、アートによって表象化された記憶について、現代性を考慮しつつ、二人の作家-井上廣子と塩田千春-を中心に挙げて論じたものである。  記憶について研究が、かつて無いほどの量とスピードで展開されている。近現代において、とくにそれは文化人類学、社会学、哲学、また生態学や脳科学など、我々のメンタル面からフィジカルな範囲に至るまで、研究内容は多岐に渡り、非常に深い関心を寄せられてきた。そのため、「記憶」にまつわる先行研究自体は数多く存在し、様々な考察もなされている。そしてまた20世紀は「記憶の世紀」と言われるように、第二次世界大戦を始めとして、記憶の役割を痛感する出来事が多くあった。それは情報伝達媒体の発展にともなって、ある出来事を体験する際の時間差や距離差をなくし、共時的な体験を可能にした事にも由来している。  記憶は歴史や記録と複雑に絡み合い、それらと同じ文脈のなかで語られる中で、記憶それ自体のもつ純粋性は失われつつある。ツヴェタン・トドロフが述べるように、記憶は文脈の中に置かれることで、その記憶を得た出来事を神聖化、または通俗化してしまう危険を孕んでいるのである。  …続きを読む
中高生と美術との出会い方−表現としての美術の可能性/吉川久美子
「中高生世代と美術と触れ合う場は何故少ないのだろうか」
「中高生世代の文化環境に美術はほとんど見当たらず、彼らは美術に興味がないのだろうか」
「多くの中高生世代はどのような美術との出会い方をしているのだろうか」
「中高生世代は美術をどのように捉えているのだろうか」
 以上のような疑問が、今回の出発点である。今も昔も中高生世代は、その発達段階の葛藤に誘発され、表現手段を模索し、表現の場を求めてきた世代と言えるのではないかと考える。若者という言葉が市民権を得た60年代から、ファッション、音楽、ダンスなど、さまざまな方法を用いて、形成していった彼らの文化は、注目を集めてきた。しかし、こうした彼らの文化環境に、美術はあまり入ってはいないのではないだろうか。何故なのか。それは、中高生世代は美術に対して表現手段ではなく、絵を描くだけ、ものをつくるだけの行為として捉えており、そのような作業的な側面ばかりが、クローズアップされた美術とばかり出会ってきたためではないだろうかと考える。 …続きを読む