『パリの護美』・日本が変わるきっかけに
小谷育弘
はじめにデザインマネジメントは国や地域社会、組織団体の存亡にもかかわる重要な概念である。その領域は知的財産権問題を始めとして、まち創り、商品開発やメディア戦略、鮨店の経営まで広範囲であり、その手法もシステムも一様ではない。この『パリの護美』・”Proprete de Paris”は、一つの成功例を紹介するものであって、編集のコンセプトは「視る、感じる、考える」ことのテキスト化にある。
俳句愛好者の数の多さからも解るように、日本人には季節の移ろいの中に聴く、虫の音色や一輪の花を美しいと感じる「情緒」という感覚がある。遺伝子に組み込まれているとしか言えない独特の感性が、実はこの国の文化や芸術をかたち創ってきたのである。
しかし、近年の社会状況はそんな繊細な情緒的感性を不全にしてしまっているようだ。1998年から施行された、金融市場等の規制緩和政策を受けいれた社会を反映しているかのように、若い世代に広がり始めた拝金主義。また別の現象として目立ち始めた40、50歳代の私生活主義は、私以外の環境に対してますます無関心になっていくのだろう。個人個人の居住空間には、有名デザイナーによる家具やプロダクトデザインがきれいに配置され、一見豊かで美的な生活がある。しかし、窓の外に見える住環境は過剰な看板と電線、さらには、積み上げられる色とりどりのゴミ袋、カラスの仕業によって散乱する路上のゴミ。この有様が、多くの地域で目にする一般的光景であろう。文化国家・経済先進国の景観としては、あまりにも醜い。年間、凡そ1600万人も海外旅行にでかけ、多くの人が異文化体験を通して、美しい視覚環境を記憶してくるはずなのに、日常生活に戻れば、直ぐに見慣れて忘れてしまう。
パリ12区のアパートに住み始めて間もない頃、狭いベランダの手すりに一枚の小さな布巾を干したことがある。すると翌日、玄関扉の下に匿名の手紙が入れられ「美観を損ねる行為を止めるように・・・」と記されていた。部屋は道路に面しているわけではなかったが、窓の外は公共の空間であり、景観は地域住民共有の財産だとする厳しい監視の目が、至るところに在ることを実感した。このようにパリ市民は周辺の美観を護るために個人の幸福権をはっきりと主張する。そして美しい景観がもたらす、眼で感じる幸せ価値を何よりも優先し、愉しみながら一度きりの人生を大事に暮らしている。
経済システムのグローバル化に伴って、日本社会は世界中からあらゆる衣食住のソフトやハードを受け入れ、成熟した物質消費文化を享受しながら暮らしている。
しかし、なぜ、デザイン大国と称されるようになった日本の公共デザインは美しくならないのか。
日本に根深く存在する縦割行政システム、市民の美意識、教育の問題等々について、解答はなかなか出ないかも知れない。しかし、もし情緒的感性が蘇生し、視覚環境デザインに機能することがあれば、絶望するには少し早いのかも知れない。
この『パリの護美』のグリーンプロジェクト”Proprete de Paris”(パリをきれいに)に関するドキュメントがどれほどの役に立つ資料か解らないが、日本を変えるきっかけに、また、芸術文化学科において文化行政やマネジメントを学ぶ人たちが、公共デザインを考える糸口になることを望んでいる。
『パリの護美』・日本が変わるきっかけにより


