授業記録
[ 第三回目、五月三〇日土曜日、「芸術やっている君らが、グローバリゼーションなんて、信じちゃ駄目なんじゃないのかい?」 ]
学科HPに、この日誌をセット・アップしてから、保坂さんが、「まあ、新見の書いていることは、いろいろ記憶ちがいが多いんだが、大筋ではまあ、だいたいはそういう感じかな、というものだ」とメールで書いてきた。 これはやはり、僕が口述筆記者に適していないという特性もあるし、敢えて保坂氏の言ったことを捩じ曲げて(はいないだろうと思うけど?)、自分の言いたいことに寄せつけて書いている、ということもあるだろう。畢竟、人はあらゆる局面で、他者のなかに、自分を見出そうと欲しているものだろうから。
でもまあ、やはり、役に立つかどうかは不明だが、今回からはメモをとることにする(自分で思いついたことを、電車のなかとかでメモするのは、大好きというよりふだんからの習慣だが、人の話しを聞いて、それのメモをとるのは、久方ぶりである)。
それから、講義の初めの振り出しに、学生の前で、僕がしゃべったことなんだが、どうも前二回の講義で、聞き忘れたか、あるいは彼が話し残したかで、尻切れになった感じで気になっている部分があって、それは、初めの、癌と芸術の関係から続いている「境界なんてあるのかい?」という話しの延長で、「個人主義とか言ったりするが、個人と個人、自分と他人の境界、人間の区別なんてつくんだろうか?」と彼が言ったことが、妙に心に残って気になったのだ。
これはむろん、僕の意見だが、保坂氏の言う「個別の作品の力」は、じつはこの問題に深く関係するのであって、僕らの興味で言うと、芸術鑑賞における、作品という磁場を巡っての、「創造者と鑑賞者」の区分は果たしてどこで曖昧になり、共同的共感的な、「ものが生まれる」ダイナミックスのなかで、如何に、混じり合うか、という問題のことに通じるものなんじゃないか、と思ったからなのだ。
また、それから先にもっと突っきって行くと、「ほんとうに、近代人が考えている、あるいは、僕らがそういう教育を受けてきた、個人なんてあるのかい?」という問題にまでなって、やがては、かつて幾多の神秘思想家たちが言った、「見えない=通常の人間の知覚を超える=世界では、どこかの部分で、何かのかたちで、人間どうしは、じっさいにつながっている」という、第六感、七感の話しにもなってきて、それはそれでまたさらに、興味深い。
これは、例の、「死を超克する」という問題とも、表裏だろう。
まあ、そこまでは言わなかったが、僕がまた勝手に前振りをしたら、例によって、保坂氏は、まったくそれには動じず、自分の話しを開始。
僕が、前回が、三週間前だったと言ったら、「正確には、四週間前だ」と、すかさず訂正。「日時記憶の保坂」の面目躍如だ。
「グローバリゼーション、と、科学(技術)進歩」と白板に書いて、さあ、始まり。
猫はどうやら、癌と判明してしまったようだ。というか、悪性リンパ腫で、腫瘍ができて、鼻と目を押しつぶすような具合まで膨らんでいる膿だが、そのリンパ腫に効く、しかも一週間だけ効く(=一週間しか効かない)という、抗癌剤を飲ませる?のか、注射するのかすると、てきめんに効いて腫れがひいて、呼吸も楽になるが、一週間しか効かないので、またゆっくりぶり返すような具合になってしまって、まあ、大局的に見れば、その進行に対して、漸次歯止めをかけながら、急激な早い進行じゃなくて、ゆるやかな進行へと、だましだまし遅らしていく、というていどの効果は、それでもあがっているようだ。
まあ、だから、でも夜中の猫の面倒見で、基本的には寝不足であって、今日も眠たいらしい。
「だから今日は、ぼおッとした感じで行く」。
「今年は、だから、猫の病気の問題があって、頭が働かなくて、ぼおっとしたものしか書けないかな、という気もしたから、もしかしたら、歳をすごくとってから痴呆症になったみたいな、ぼおッとしていて、どこが面白いんだか何だか、ちょっと分からないような、そういう文章を書く練習も、老後のためにしているんだ。」(保坂語録その八)
ジョークかも知れない(彼にはジョークは無い、と僕はみている)が、すごい訓練ですね、じっさい。
「認知症のテレビを見ていて、同じ年齢や似たような環境でも、認知症になる人とならない人がいて、そこには隠された原因がある、というのをやっていた。僕は、何かいくつかの現象があってそれらを見ると、その底には何らかの原因があるはずだ、と考えるタイプに属するんだ。」
寝不足で頭が働かなくても、本や小説を読んでいて、面白くないな、ということは分かるんだよ。だけど、どこがどう面白くないか、どうすれば面白くなるのかは、これは、寝不足では無理だね。それはほんとうは、読んでいただけじゃ駄目なもので、じっさい書いてないと分からないもんなんだ。書き手のテンションには、読み手はなかなかついていけないものなんだが、昔ある編集者が、すごいテンションで読んでくれて、忠告やら意見やらしてくれたことがあって、これには感心、感謝した。」(保坂語録その九)
ひとつ敢えて付言させてもらえば、僕も学生には、「絵は走ってるので、自分も走らないと、その絵の速度には追いつけない」と言っている。
