「解体されるキャラ」展 リーフレットテキスト

このテキストは、「解体されるキャラ」展で配布されていたリーフレットに掲載されていた文章です。

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解体されるキャラ

神野智彦

「アートと社会」


 そもそも、アートとは何か。作品を「これはアートである」と指し示すときの条件は何だろう。すでに了解されている一定の素材や手続きにのっとっているのか。(これは油画である。これは木彫である。)アートマーケットに乗る市場性があればアートなのか。美術館に置かれればアートなのか。あるいは、先行する何らかの作品に対して批評性を持っていれば、アートなのか。

 社会をどのようにとらえるべきなのだろう。近代のアートを支えてきたのは、画商であり、コレクターであり、美術館であり国家であり、美術史である。しかし社会に公共圏がありうるのだろうか。どうすれば、美術史が社会に対して公共的であり得るのだろうか。たとえば政治性を取りこめばアートなのか?それがジャンルとして自閉化してはいないか。「お説教」と捉えられてはいないか。むしろ誤配―――ジャンル的自閉からの脱出―――を企てるべきではないか。

 今回の展示は授業内にて企画された。与えられたテーマは「アートと社会」である。しかし、社会にとって美術史はもはや自明のものではない。それならば、今日の表現と、社会の変化の交点に寄り添い、問い直すことで公共的な仕事ができるのではないだろうか。


「ただのキャラには興味がありません。」


 今日、キャラは猛然と流通している。アニメ、ゲーム、マンガといった商業レベルの表現はもとより、同人誌やインターネットでの二次創作を含めればその量は余りにも膨大である。

 イラストSNSのPIXIVが開設されたのは2007年の9月。2009年6月時点での発表では会員が100万ユーザーを突破し、一日の投稿数が15000枚。月間7.2億ページビューという大規模なサービスとなっている。それだけの規模の人間が、創作を行い、鑑賞が行われている。その中で流通するイラストはそのほとんどがキャラ絵である。一方でアートマーケットでは、奈良美智に代表されるように「キャラ」絵が流通している。

 「キャラ」を描くものは数多い。しかしそれがいかに成り立つか、というキャラを解体する思考は少ない。今回の企画では「解体されるキャラ」をテーマとした。取り上げた作品は、必ずしも作家が「キャラ」とはいかに成り立つかという「命題」を意識して制作したものばかりではないだろう。あるいは魅力的なキャラを生み出そうとする過程でこそ、そのような作品が生まれる契機ともなる。

「キャラ」のメディウム


 JNTが2004年から発表している『デフォーム』と題されたシリーズ(1)では、Photoshopを使用して写真をデフォルメして「キャラ」化させる作品である。それら「Deformed Girl」のプロポーションはJNTの描く「キャラ」のそれである。デジタル技術による写真の加工は、広告やプリクラ、果てはカメラの内部でさえ当然のように行われている。しかしそれらの加工とは異なり、『デフォーム』ではツールによる加工の痕を消そうとはしない。直線選択ツールによってあらわれるジャギーや、拡大によるブロックノイズの痕は、鑑賞者の前に提示される。そこでは、キャラとはどのように成り立つのかということが―――「キャラのメディウム」が、暴かれている。

 梅沢和木は、ウェブ上にある無数の画像を蒐集、集積し、クラウドあるいは小宇宙のような画面を作り上げる。
『untitled』(2)では画面の中で「キャラ」は分解され、反復され、引き伸ばされるが、それでもなお断片は「キャラ」のある種の「輪郭」を保ち続け、固有名(これは「ハルヒ」。これは「かがみ」(3))を失わない。ここでは、一度確立された「キャラ」が断片と化しても、「ひとつの統一された画面」の中で異物として残り続ける。

「ハッカーマインド」と「サイバネティクス」


 では、キャラを解体すれば面白い作品になるのだろうか?

 JNTは、ウェブ上で精力的に作品を発表している。それも、イラストの複数バージョンの制作(4)、発表メディアの変遷(5)及びそれらを常にhackしようとする姿勢、あるいは4つの人格を持つという「設定」も含めて、ウェブにおける作品の在り方を常に思考している。内的な論理は別にある。それは「ハッカーマインド」である。

 「ハッカーマインド」に語弊があればあるいは「トリックスター」とでも言える振舞いをJNTは続けている。 イラストへのオノマトペの積極的な導入(6)や、ジャギーや油絵の質感を偽装する作品(7)、あるいはゲーム『世界樹の迷宮』のマッピングシステムを利用したドット?絵(8)など、作品レベルで見ても、かなり多種多様な試みを行っている。それらの試みはある種の「快楽原則」によって方向づけられており、それこそがトリックスターの資質となっている。

 梅沢和木は、シューティングゲーム『東方』シリーズの弾幕の美しさや、音楽ゲーム『beatmania』をプレイする際の身体感覚を語る。出力された画像に筆をのせて作品を完成させるが、そこで使用される画材は蛍光色やラメが使用される。これらはRGBの輝きへの接近と取れる。しかし、既にある画面に筆を置いていく作業とゲームをプレイする際の身体性の感覚との類似を梅沢は語る。梅沢の作品の中にあるのは「サイバネティクス」の感覚である。

 「サイバネティクス」とはギリシャ語で「舵取り」を意味するキベルネテスを語源とする。舵を取り、船を目的地へと運ぶためには、目や方向感覚、あるいは手足からの情報を総動員する必要がある。いわば身体が船にまで拡張された「船人間」とでもいうべき状態といえる。「サイバネティクス」で意味が広ければ、「ゲーム的身体性」や「Photoshop的身体性」とでも呼ぶべき感性である。「船人間」「自転車人間」そして「ゲーム人間」と連なる、常に更新される身体性が、表現を更新する。写真技術による絵画の変質のように、「Photoshop人間」の登場が新しい表現の地平を見せる。Photoshopのツールの痕跡は、デジタルなブラッシュストロークの感覚として知覚される。
             

 それらの精神/感覚が、これらの作品をエキサイティングなものにしている。しかし、まずは、これらの作品が美しい、よい、格好いい、ヤバイ、面白いということを感じてほしい。理屈は常に事後的なものである。
 

                                    

(1) http://rakgadjet.fullmecha.com/deform_log2004/
(2) http://umelabo.info/works/016untitled/000.html
(3) 『涼宮ハルヒの憂鬱』の「涼宮ハルヒ」、『らき☆すた』の「柊かがみ」
(4) ウェブサイト:http://rakgadjet.fullmecha.com/
お絵かき掲示板「ラクバ」:http://rakgadjet.fullmecha.com/rkb_entrance.html
blog:http://jnthed.blog.shinobi.jp/
pixiv:http://www.pixiv.net/member.php?id=4395
ustream: http://jntv.fullmecha.com/
など、メディアによって発表する画像が別ヴァージョンになることも多い。
(5) pixivでの「スリープ」http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=753552 やmixi上での「ラクバ・ツー」 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2021522 の活動、あるいはtwitterでは4つのアカウント http://jnthed.blog.shinobi.jp/Entry/67/ を使用するなど、徹底的にツールへの介入、あるいはシステムへの抵抗を行う。
(6) http://rakgadjet.fullmecha.com/oscar1.htmlなどは、2004年のものを2008年に再制作しており、またトリミングヴァージョンと全身ヴァージョンの複数が存在する。
(7) たとえばhttp://rakgadjet.fullmecha.com/vtol.html 『ダミーオイル』http://rakgadjet.fullmecha.com/oldovertechnology.htmlや、『ジャギっこ』http://rakgadjet.fullmecha.com/jagikko.html
(8) http://fullmecha.com/cgi-bin/rakbudjet/data/IMG_000458.jpg