「アートでお見合い」展

11月22日より「アートでお見合い」展を開催します。

武蔵野美術大学芸術文化学科の岡部あおみ教授による講義、現代アート研究において「地域とアート」をテーマに立ち上げられた「アートでお見合い」プロジェクト。
このプロジェクトによって、ムサビ周辺地域にアトリエを持つ、うらうらら、仲山姉妹、早川祐太の3名の作家たちと、同地域住民から募った3組のコレクターがアートを介して出会いました。まったく見ず知らずの他人であった、コレクターと作家はコレクションという行為によって、新たな関係性を作っていきます。まさに「アート」が仲人となる「お見合い」なのです。

本展では3組の「お見合い」の様子、実際にコレクションされる作品も併せてご覧頂けます。皆様是非、お立ち寄り下さい。




「アートでお見合い」展

出品作家:うらうらら、仲山姉妹、早川祐太

期間:2010年11月22日(月) ~ 12月4日(土) (日・祝休廊)
   ※ 初日はレセプションパーティのみ行います。
     18:00より前は開いておりませんので、ご注意下さい。
レセプションパーティ 11月22日(月)  18:00~19:00

時間:11:00~17:00
   最終日は15:00まで

入場料:無料
会場:apmg (武蔵野美術大学9号館6階)

「解体されるキャラ」展

11月9日より「解体されるキャラ」展を開催します。
本企画は武蔵野美術大学芸術文化学科の「芸術文化研究Ⅰ(現代アート研究)」の「アートと社会」をテーマとした授業内コンペティションで企画されました。
「アートと社会」そして展示の公共性を考える上で「アートである」と了解されている表現や「社会問題である」と了解されている問題だけを追っているだけでよいのだろうか、そういった問題意識から展示構想はスタートしました。
インターネットを通じて、表現の発表の場は今や急速に広がりを見せています。誰もが気軽に表現を投稿・閲覧できるようになり、イラストSNSでは一日に一万枚以上のイラストが投稿され、イメージが氾濫し「キャラ」は猛然と流通しています。

JNTはウェブ上で作品を発表しており、写真をデフォルメさせキャラ化させる「デフォーム」シリーズや、油絵のようなタッチをデジタルで再現する「ダミーオイル」シリーズ、オノマトペの多用などユニークな作品を制作しています。
梅ラボこと梅沢和木は、ウェブ上に流通する画像を集積させ画面を構成する作品を発表しています。そこでは分解されないキャラの記号がクラウドを構成します。
「キャラ」の立ち上がりの瞬間とはどういうものか。そしてそれらがどこまで行けば分解されうるのか。二人の作品をご覧ください。

企画者代表 神野智彦

■開催概要
期間:2009年11月9日(月)−11月21日(土)
   ただし11月15日(日)を除く
時間:11:00−17:00
   最終日は15:00まで
料金:無料
場所:apmg(武蔵野美術大学9号館6階608)

冥Blog!(JNT)
梅ラボ(梅ラボ)
特設ページ

尾口桜里「Lachrimae−ラクリメ−」展 開催のご案内

ムサビの自転車整備の仕事をする傍ら、日常的に写真を取り続けてきた尾口桜里の初の個展を開催します。

癌を患う母親の姿を記録し続けた数千枚にも及ぶ写真。

その中から選出した一部の作品を、apmgにて公開させていただきます。皆様是非お立ち寄り下さい。

本企画は武蔵野美術大学芸術文化学科の岡部あおみゼミ授業内コンペティションにおいて企画されました。

——–

尾口桜里 「Lachrimae-ラクリメ-」

開催日時:2009年11月24日(火)〜12月25日(土) (日曜休廊)
時間:11:30〜17:00
会場:apmg (武蔵野美術大学9号館6階)
〒187−8505 東京都小平市小川町1−736
入場料:無料

・イベント情報
アーティストトーク 11月24日(火) 17:00−18:00
レセプションパーティー 11月24日(火) 18:00−19:00

「解体されるキャラ」展 開催のお知らせ

11月9日より「解体されるキャラ」展を開催します。
本企画は武蔵野美術大学芸術文化学科の「芸術文化研究Ⅰ(現代アート研究)」の「アートと社会」をテーマとした授業内コンペティションで企画されました。
「アートと社会」そして展示の公共性を考える上で「アートである」と了解されている表現や「社会問題である」と了解されている問題だけを追っているだけでよいのだろうか、そういった問題意識から展示構想はスタートしました。
インターネットを通じて、表現の発表の場は今や急速に広がりを見せています。誰もが気軽に表現を投稿・閲覧できるようになり、イラストSNSでは一日に一万枚以上のイラストが投稿され、イメージが氾濫し「キャラ」は猛然と流通しています。

JNTはウェブ上で作品を発表しており、写真をデフォルメさせキャラ化させる「デフォーム」シリーズや、油絵のようなタッチをデジタルで再現する「ダミーオイル」シリーズ、オノマトペの多用などユニークな作品を制作しています。
梅ラボこと梅沢和木は、ウェブ上に流通する画像を集積させ画面を構成する作品を発表しています。そこでは分解されないキャラの記号がクラウドを構成します。
「キャラ」の立ち上がりの瞬間とはどういうものか。そしてそれらがどこまで行けば分解されうるのか。二人の作品をご覧ください。

企画者代表 神野智彦

■開催概要
期間:2009年11月9日(月)−11月21日(土)
   ただし11月15日(日)を除く
時間:11:00−17:00
   最終日は15:00まで
料金:無料
場所:apmg(武蔵野美術大学9号館6階608)

冥Blog!(JNT)
梅ラボ(梅ラボ)
特設ページ

ユーリー・ノルシュテイン「外套」原画展

『霧の中のハリネズミ』(75)、『話の話』(79)など、切り紙手法による詩的で繊細な作風で世界的に評価されているロシアのアニメーション作家。ユーリー・ノルシュテインが、今回、20年以上の歳月をかけて制作してる映画「外套」の原画を、apmgにて展示を開催いたします。

■開催概要
期間:2009年10月5日(月)−10月24日(土)
   ただし10月11日(日)、18日(日)を除く
時間:10:30−18:00
主催:武蔵野美術大学芸術文化学科
   ロシア文化フェスティバル日本組織委員会
料金:無料
場所:apmg(武蔵野美術大学9号館6階608)

■ノルシュテイン講演会 最新作「外套」について語る
(※本学学生向けのため、一般の方はご来場いただいてもお席の保証はできません。)
期日:2009年10月5日(月) 16:30−
場所:武蔵野美術大学第1講義室(1号館103教室)
          第2講義室(1号館104教室)

「ことばのかたち工房」展レビュー掲載情報

「ことばのかたち工房」展企画担当の吉川です。

2009年4月21日〜5月15日までapmgにて行なわれた”ア−ティスト・イン・児童館・プログラム#1
西尾美也プロジェクト「ことばのかたち工房」展」”のTAB(TOKYO ART BEAT)にてレビューが掲載されました。

宜しければ、以下からご覧下さい。
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2009/06/kotobanokatachikobo.html

武久絵里個展 「lump」 監視員募集のお知らせ

武久絵里個展 「lump」

にて、監視員をしてくださる方を募集しております。
1時間でも構いませんので、お力を貸してくださる方がいらっしゃいましたら、
apmgのメールアドレスまでご連絡ください!!

今回の展示ではパフォーマンスという作品の性質上、普段の展示とはひと味、
ふた味も違ったものになるかと思います。
来場者の方を優雅にエスコートして、展示室内へとご案内していただく形の、
身も心も引き締まる監視員を経験してみませんか?

ご応募お待ちしております!!

apmg@musabi.ac.jp

武久絵里個展 「lump」のお知らせ

武久絵里 「lump」のお知らせです。

apmgでの2009年度企画第3弾は、昨年度、武蔵野美術大学大学院彫刻科を卒業した武久絵里による
パフォーマンスです。夏休み明けすぐの開催となりますので、皆様ぜひともお立ち寄りください。

詳細は下記になります。

武久絵里「lump」展

【展覧会日時】
2009年9月7日(月)~9月19日(土)
11:00~18:00
※13日(日)休み
※9月19日(土) 18:00~19:00 クロージング・パーティー

≪公開スケジュール≫
①パフォーマンス  9/8・9・10・12・15・16・17・19日 11時~13時と14時~18時
②パフォーマー不在の開廊  9/7・11・14・18日 11時~18時

井上廣子展「Inside-Out」レビューその2

『重なる光景。会場内の空間に平行する光を身にまとう体験。』

研ぎ澄まされた観察力が今回の作品を形成している。それはこの展覧会場だけで発揮されるものではなく、まさに展覧会の壁を突き破り、外部空間にまで影響を与えてゆく。

作品が展覧会場と、その外部とのつながりをつくってゆく。それは、作家が賢く綿密に形成させるのではなく、鑑賞者と作品が対峙した瞬間、鑑賞者がその作品にのめり込んで行くことによって成立されるものである。ゆえに、あらゆる作品は鑑賞者によって蹂躙される危機に面していることを指摘できる。そして多くの酷評を、無抵抗の状態で、また禁止するすべをもたない状態で身にまとわなければならない状況に、作品は幾度も遭遇しなければならない。それは作品への鑑賞者による侵犯である。美術史は、その禁止や侵犯といった互いの闘争の主客として、作家を論じているケースも多く、その闘争に順ずる者、その闘争から逃れる者、もしくはその闘争以外の場所に自己のアイデンティティを見つける者などとして、数多くの作家たちを歴史の上に登場させてきた。

だが、闘争というイメージは、今展覧会の作品にそぐうものではない。つまり今回、作家は展覧会において、会場内部と外部の隔たりをなくす機会を設けた。いわば、会場という閉ざされた内部と外部空間の存在の(、)不一致や対立を意識させるものとはなっていないのである。それは、今回の作品がフレームという枠内の向こう側の空に向かって突き抜けてゆくものであるからだ。つまり、作家の観察は、外部の、はるか彼方に向かって延びているものであり、暗い展示会場に響き渡るあの仄かな光は、作品の中身が箱型の入れ物という限られた範囲によってプールされているのでなく、会場から外部へ抜ける突破口からもれる、外部からの光明を伝えるものであることを示している。

この作家は、会場という空間が、外部と平行に存在する二重性のもとに存在していることを示唆している。それは、この展示会場内の静謐な空気が、作品から漏れる光の微粒子によってできていることを意味している。その微粒子は展覧会場の外部からやってきた光の戯れを表象しているのである。

その景色にある光を展覧会場で奮い起こすことを、この作家は行った。その行為とは、ある(一)瞬間を会場に留めるということなのではなく、いつかの日に輝いた場をこの会場に延長させる試みである。この試みは、人為的な光によって行われた行為ではある。しかし、その光が会場に広がることにより、映し出された外部と会場の内部空間は平行する二重性のもとで時を刻むことになる。それは決して一縷の輝きによって会場内を支配させるのではない。景色に宿る光の微粒子を持続可能な限りにおいて会場内に再現しているのである。

その光は、この作家の恣意的な解釈によって創られたものではない。多くの空間に存在する、変幻自在な輝きを、作家は鑑賞者の身にまとわせているのである。そして、その輝きは、作家自身も観察し続け、そして身にまとい続ける光の微粒子なのだ。

佐々木慶一(芸術文化学科4年)

井上廣子展「Inside-Out」レビューその1

 我々の周りには、多くの「境界」、あるいは「しきり」が存在している。塀や壁、ドアのように物理的に存在しているものもあるし、精神的なものもあれば時間的なものもあるが、それら多くの「境界」「しきり」によって、我々は物事を区別したり行動の規範としたりしながら生きている。
 井上が「Inside-Out」でモティーフとしている窓は、物理的に存在している「境界」の一つであるから、その意味では、井上が「境界」というものの存在を扱っていることは比較的わかりやすいのではないかと思う。しかし、作品を一見すれば井上の扱う「境界」、つまり窓が普段我々の見ているそれとはずいぶん違う雰囲気を纏ったものであることがわかるはずだ。

 井上が「Inside-Out」で扱う窓は精神病院や少年院、あるいはナチスの強制収容所のそれである。もちろんこれらの窓は、本来は単なる屋内と屋外の境界を作り出すものなのであるが、それが精神病院や収容所のものであるというだけで、「内と外」ということの意味を変えてしまうのである。それも、ネガティヴな方向に。
 これらの施設は、一部の、負のレッテルを貼られてしまった人々を世の中から引き離す為の施設である。しかもそのレッテルというのは、社会や支配者からほぼ一方的に突きつけられてしまったものである。理不尽な、時には暴力的ともいえる程の理由で排除し隔離されてしまった人々が集められた場所にある窓。
 多くの窓は開く。開ければ外の世界と繋がることができる。開かない窓は、例えば高層ビルや新幹線の窓のように、何らかの危険を示すものが多い。精神病院や収容所の窓も、そのように危険を示すものなのであるが、一つ決定的に違う点がある。
 それは外ではなく、内側が危険である(とされてしまった)ということである。つまり、これらの窓が発する警告は、外にいる者たちへと向けられたものなのである。危険だとされ、閉じ込められてしまった者たちのメッセージが、これらの窓からは聞こえてくる。

 薄暗い空間の中に、ぼんやりと浮かび上がる「窓」の数々。それらを浮かび上がらせる光は、外から差し込む日光を想起させる。しかし、外界とを強固にしきる「窓」の存在によって、その光源は遥か遠くにあって、手の届かないものであるかのように思わせる。「窓」の内側から撮影するということがそれを一層強調し、これらの「窓」の強固さ、理不尽さ、そしてその中へ入れられてしまった者たちの哀しさを見る者たちへと訴えかける。
ただ、井上はこうした負の面のみを見せたいというわけではないのだろう。むしろ、これらの「窓」を破壊し、閉じ込められた人々を光の下へと連れ出す救世主となれ、と見る者たちへと訴えかけているのだと私は思う。

「境界」をぶち破れ―そのメッセージこそが、井上が「境界」を扱う所以なのだ。

荒井隆大(大学院芸術文化政策コース2年、apmg代表)

参考文献
柏木博『「しきり」の文化論』講談社現代新書、2004